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2014年2月18日火曜日

「ひとり言」再開(ソチ五輪)

しばらく放置が続いていた「ひとり言」ですが、保護者の方々からの要望もあり、継続的な更新を目指しつつ再開します。
これまでは、試合ごとに感じたことなどを綴っていたのですが、これからは試合がなくても更新していこうと思います。
まずは、開催中のソチ五輪からネタを拾っていこうと思います。

2010年6月6日日曜日

教育リーグ

教育リーグが始まりました。
教育リーグという名称のリーグ戦は昨年から開始されたのですが、これまでの区大会と違う点がいくつかあります。
・順位をつけない
・大会会場が少なくなってきているので、各チームの練習会場を大会会場として持ち寄る
・試合時間やプレーする選手の人数、フィールドの大きさは状況に応じて決める
・複数エントリーした場合、チーム間での選手の移動も可能
…等々、柔軟なレギュレーションとなっています。

2009年4月25日土曜日

武器はFKです!

ネットで以下のようなニュースを発見してしまいました。
http://news.livedoor.com/article/detail/4094697/

サッカー日本代表の岡田武史監督(52)が3日、都内でスタッフ会議を開き、4大会連続のW杯出場をかける6月のW杯アジア最終予選3連戦へ、“セットプレー依存症”への不安を一蹴した。セットプレーによる得点が多い現状を問われ、「ゴールが取れれば、流れからでもFKでもいい」と自信をみなぎらせた。セルティックMF中村俊輔(30)、G大阪MF遠藤保仁(29)ら優秀なキッカーを武器に、W杯出場をつかむ覚悟を見せた。
◇  ◇
FKで、目標の“世界4強”に駆け上がる。W杯出場へ“王手”をかけた岡田監督が、セットプレー頼みの状況にOKを出した。「大事なのは、いかに攻めてFKをとるか。全体としてどんなサッカーをしているかが大事。満足している」。1-0で勝った3月28日のバーレーン戦の反省を中心にしたスタッフ会議後、報道陣から流れからの得点が少ないことを問われて反論した。
バーレーン戦は、中村俊のFKで競り勝った。もっとも、流れからの得点のなさ、決定力不足が課題として残った。岡田監督は「最終予選で、流れからぼこぼことゴールできるなんてあり得ない。韓国もオーストラリアも、(勝った1日の試合は)FKとかPK、セットプレーからでしょ?」と主張。口調は“これでいいのだ”と言わんばかりだった。
岡田ジャパンがW杯アジア予選11試合で奪った20点のうち、11点がPKを含めたセットプレー絡み。一般的に、セットプレーからの得点は4割と言われている。中村俊、遠藤ら左右の好キッカーをそろえており、結果的にストライカー不在を埋めている。
岡田監督はバーレーン戦後、「日本人はゴールを奪うタレントに欠けるかもしれないが、それは技術委員会が考えること。僕らは、“じゃあどうする?”というところから始まっている」と語ったように、まずは持ち合わせている武器を磨く。点取り屋がいないなら、セットプレーで世界を驚かせばいい。

-------------------

セットプレーでの得点もサッカーのゴールのひとつです。
そして、フリーキックを決めることの出来る選手は「特別」な存在でもあります。
自分も高校生の頃、韓国戦での木村和司のフリーキックに歓喜したものです。
グランドに出たら、空いている時間を見つけて「曲げて、落とす」キックを練習したものです。
そう、フリーキックからのゴールは美しいと自分は考えています。
しかし……しかしです。
フリーキックやコーナーキックは、ボールが静止している状態でキッカーに対してのプレッシャーはゼロに近い状態です。
サッカーにおいて、もっともサッカーらしくない瞬間でもあります。
つまりです、フリーキックでのゴールでゲームをモノにする事しか考えないようなチームは、もうサッカーを楽しんでいないと思うのです。
常に状況が動く中でプレーするのがサッカーの魅力なのだと思うのですが…
代表チームは、その国のサッカーを表現している「集大成」という意味でも「代表」であるはずです。
「内容なんかどうでも良いんだよ、勝てばオッケー!」これが今の日本のサッカーが目指すモノなんでしょうか?
百歩譲って、次から次へとワールドクラスの選手が湧き出てくるような環境であるのならば、そんな考え方もあるかと思います。(イタリアなんかはこんな感じでしょうか?)
しかし、あの王国ブラジルでさえも、アメリカW杯で優勝したチームに対して国民は「史上もっとも退屈なチームだった」と酷評したといいます。
ブラジルの人達は心からサッカーを愛しているのでしょう。
「大事なのは、いかに攻めてFKをとるか。全体としてどんなサッカーをしているかが大事。満足している」という岡ちゃん発言は、何を言おうとしているのか分かりませんので、マスコミの悪意で操作(テキトーに一部を抜粋?)された記事なのかもしれません。
しかし、この岡ちゃんの発言(記事)には正直ガッカリです。
日本人が流れの中からゴールを奪えるワケないじゃん!
なるべくゴールの近くでファールを貰うためにはどうすればいいかを考えましょうという事かい?
本気でワールドカップベスト4なんて考えているんでしょうか?
確かに世界を驚かせるチームになると思いますが…
アメリカンフットボールならぬ、ジャパニーズフットボール(セットプレーだけで得点を競い合う)というスポーツを提唱してはいかがでしょうか?

2009年4月20日月曜日

新シリーズ(コラム?)

ひとりゴトログのポジションを模索している、今日この頃。
これまでは試合観戦記の色が強かった(というかそれ『のみ』)のですが…
毎年、試合で感じる事はそれほど大きな差はなく、同じような事を書いているなぁ…というマンネリ感をヒシヒシと感じていました。
その結果、更新をサボりがちとなってしまいました。(言い訳ですが…)
という事で、今後は特にしばりをつけずに、試合の感想も書くし、その時に考えている事、自分の体重の変化(特に減少)などを、まさにブログ風に書いていこうかと思います。
ということで、まずは某テレビ局で深夜にやっているスポーツ番組(うるぐ●)で観たオシムのインタビューについて感じた事を。

まず、オシムという監督が非常に優秀な指導者である事は、自分も認めています。
しかし、オシムがまるで日本サッカーの救世主であるかのような扱い、もっと言ってしまうと神格化されてしまうような状況はどうかと思います。
オシムは言います…
「運動量が足りない、そのせいで負けた」
「もっと動かなければ…」
誰もがこの言葉に大きく頷きます。
しかし、驚異的な運動量で高校サッカー界で旋風を巻き起こしたものの、日本を背負って立つような選手を排出できないでいる某指導者がこの言葉を言ったらどうなるでしょうか?
技術不足をフィジカルで圧倒しようという方向性は、以前から批判の的になっていたはずです。
ところが、オシムが「運動量」と言うと…
どうもオシム批判はタブーになっているような気がします。
自分にとって、そんなオシムの言動には納得の出来るものと、「そうかぁ?」と感じるものがあります。
それは翻訳に問題があって、オシムの本当に言いたい事が伝わっておらず、マスコミの都合の良い部分だけが公になっているのかもしれません。
しかし、この日「うる●す」で聞いたオシムの言葉には納得できるものがありました。
日本代表の決定力不足について聞かれたオシム
「日本の選手達はゴール前で何をしたら良いか分かっていない」
「パスをするか、シュートをするか分からないんですよ」
「その答えを監督に求める…自分で決めなければいけない事なのにね」
海外のサッカー環境を実際に観てきた訳ではありませんが、日本の指導者や保護者は何でもかんでも教えたがる(教えてほしがる)というか、教えなければ(教えて貰わなければ)いけないと思っているような気がします。
イヤ、教えなければ選手達は出来るようにならない、と思っているのかもしれません。
サッカーに限らず、スポーツは遊びであるはずです。
子ども達はもちろん、プロの選手達もプレーする事を楽しんでいるはず…というよりも、楽しんでプレーすべきだと思います。
そして、楽しいもの、好きなものだからこそもっと上手くなりたいと工夫をしていくものだと思います。
テレビゲームにのめり込む子ども達は、人から情報を引き出したり、攻略本を読んだりしながら、ゲームを繰り返しプレーしていく事で上達していきます。
ゲームのスクールやゲーム塾に入ったり、専門のコーチにゲームを教えて貰おうとは考えないと思います。
南米やヨーロッパの子ども達は、サッカーをこのテレビゲームの様にとらえていると思います。
テレビやスタジアムで、自分にとってのアイドル選手のプレーを観て、それを遊びの中でマネをしてみる。
そして、よりアイドルの選手に近づくため、サッカー仲間の間でヒーローになるために、一生懸命にボールを蹴るのです。
決して「教えて下さい!」というような「受け身」の姿勢は取らないはずです。
時にはコーチの指示に「自分はこう思うんだけど?何でそのようなプレーをしなければいけないの?」とコーチと議論を交わす子ども達もいると聞きます。
しかし、日本でいうスポーツはどうでしょう?
日本ではスポーツというよりも「体育」という考え方が、(意識をしていなくても)我々の身体に染みついているのではないでしょうか?
日本のスポーツ界が部活動を中心に発展した背景もあり、楽しむというよりも教科教育の一環としての「運動」という印象が強い気がします。
もっと遡っていえば、戦時下の「教練」にルーツがあるのかもしれません。
つまりは、軍隊の「訓練」のようなシステムに近い気がします。
コーチ(上官)の指示(命令)に従い、その指示を遂行するのです。
軍隊においては、兵隊は自分の判断で勝手に動く事は出来ません。
上からの指示に従って動かなければいけません。
これは、そうしなければ自分の、または自分の属する隊全体の生死に関わるのですから絶対に守らなければいけません。
コーチのいう事に対しては大声で「ハイッ!!!」と返事をしなければ、コーチに怒られてしまうチームもあります。
コーチの指示を受けている間は、気をつけの姿勢で直立不動でなければ、グランドを走らせられてしまう事もあります。
このような環境で、スポーツを本当に楽しめるでしょうか?
スポーツは生死をかけた戦争ではありません。
むしろ自分の判断で動く事、その判断をする事がスポーツの醍醐味であり、楽しさであるはずです。
では、われわれコーチは何をする事が「仕事」になるのでしょうか?
最も大切なのはサッカーの楽しさ、素晴らしさを感じさせる事です。
それは、「場所」「時間」「環境」の提供。
サッカーを楽しむ事の出来る場所や環境、つまり練習や試合に参加する機会を与える事。
子ども達が能動的に取り組むような、または工夫をすれば上手くプレーできるようになる状況を設定する事。(練習メニュー)
そして、より良いと思われるサッカーを(言葉やデモンストレーションで)示す事…等々。
手をさしのべる事も必要ではありますが、子ども達が「教えて貰う」というような姿勢を作ってしまうと、それは子ども達の可能性を潰してしまう事と等しいと思います。
サッカーは決して教え込むものではないし、教えきれるものでもないと思います。
サッカーに夢中になれば、子ども達は自ら工夫をしてサッカーに向き合うようになるはずです。
国の代表選手が大事な場面で、監督からの指示がなければ上手くプレーできない、というようなスポーツ環境は正しいのでしょうか?
サッカーを「遊び」と捉えて、子ども達が目の色を変えてサッカーと向き合う。
コーチ、保護者はサッカーに夢中になる子ども達のサポートを目一杯する…そんなクラブに「つばさ」はなりたい。
と、宮沢賢治風なシメで、コラム風ひとりゴトログを終了します。(長くなってしまった…)

2006年7月18日火曜日

中田英寿引退特番

先日放送された「中田英寿引退特番」(番組タイトルは違ったかも?)を見ました。
普段自分が考えているようなことと同じようなことをいっているのを聞き、ちょっと安心すると同時に、自分に厳しく行動するナカータと自分との違いに恥ずかしくもなったりしました…が、理路整然と自分の考えをストレートに話すナカータに知性と人間的魅力を感じると同時に、番組内に登場してきた現代表選手達のコメントは、いかにもテレビ向けの模範解答という感じで、何とも薄っぺらい感じがしました。
この辺にも、ナカータと現代表メンバーとの「ミゾ」が表れているのかなとも思いました。

自分の考えをストレートに他人にぶつけて(ぶつけ合うことを望んでいるのだと思いますが)ものごとを良い方向に持っていこうとするナカータと、ガチンコの話し合いを避けたくて仕方がない他のメンバー達。(あくまで想像ですが)
ナカータがウザがられるのは、当然の結果だったのかと思いました。
どうやら、現代表のメンバーのほとんどは他人に意見されることが大嫌いなようです。
トルシエの独裁体制に嫌気をさし、日韓W杯のチームに覇気がなかったのは、そのせいだったのかとも想像してしまいます。
ジーコ体制になったとたん、「ガミガミ言うのがトルシエからヒデさんに変わっただけじゃん…」とカゲでぼそっと囁く選手もいたとかいないとか…
自分の意見を言うことは出来ない上、相手と議論を交わすことは避けるけど、自分に意見する相手に対しては不快感を示す…
腐りきった選手達というような気がしますが、実はこれが日本人の大多数の姿だとも思います。
そういった意味で、ナカータはやっぱり日本人離れしていたのでしょうか。
不満があってもとソッと胸の内にしまい込むのが、日本人の美しい所だと思われている節もあります。
武士の姿として思い浮かぶのは「黙して語らず」という様な雰囲気です。
でも、今の日本人と武士道の世界に生きてきた日本人と明らかに違うのは、「自分」というモノを強く持っているかどうかだと思います。
言葉で多くを語らないぶん、行動で示していたのではないかと勝手に想像してみますが、どうでしょう?
武士道の時代まで逆行しなくても、「大和魂」を持っていた日本人もちょっと前まではたくさんいたのではないかと思うのですが…
長嶋茂雄も、天才とか天性の明るさを持った選手と言われていましたが、凄まじいほどの練習量がミスターを支えていたというのは周知の事実です。
輪島功一やガッツ石松と言った、今ではバラエティで活躍しているボクサータレントも、科学的トレーニングの確立されていない時代ではありましたが、強い意志と地道な努力がその裏付けとなって日本中を感動させるような選手になったのでしょう。
現在の日本人は、ただトラブルになるのを避け、表面上の薄っぺらい付き合いが上手くいけば良いという感じなのではないでしょうか。
今では、同じくボクシングの亀田三兄弟が話題になっています。
厳しいトレーニングを積んでいるという点は認めますが、対戦相手を尊重するという、人として基本的な部分が欠落している(演出だという話しもありますが、見ていて不快になります)上、あまりに品が無さすぎる「選手」としては最低な人間を持ち上げる周囲の体制に辟易してしまいます。
ナカータの場合も、自分に非常に厳しいという点が似ているような気がします。
試合後のロッカールームで、足首をボッコリ腫らしていたナカータに「何だ、その足!ヒデ、痛くナイのかよ!!」と驚いてきいた選手がいたそうです。
ナカータは「痛いに決まってるじゃん!」とサラッと言ってサッサと着替えて帰って行ったそうです。
後日談として「痛いとか、疲れたとか、そういった弱い部分はぜったいに相手に見せたくない」と言っていたそうです。
ユース代表として招集された時も、その当時はパッとしない選手だったと、当時の監督だった人から聞いています。(ただ、身体能力はズバ抜けていたようです)
しかし、練習に取り組む姿勢や物事を吸収しようとする姿勢は、際立って目立っていたそうです。
誰もが分かっているけど、実際にやるのは難しい、きっちり練習するという事をナカータは中学生くらいの頃から彼の武器である「強い意志」を持って遂行していたのでしょう。
今回の引退も、絶対に早すぎると思いますが、高校生(中学かも?)の頃から「計画」してきた彼のスケジュール通りなのでしょう。
自分の立てた目標に対して、絶対に妥協することなく、強い意志を持って突き進んできたナカータだからこそ、今のナカータがあったのだと思いますし、それを曲げるのはナカータらしくないのかもしれません。
でも、サッカーは選手として第一線でプレーしている時が一番楽しいし、輝いていられるのです。
プレースタイルは好きな部類ではありませんが、引退の撤回も期待してしまいます。
子ども達の手本となるべき選手は、なるべく長くプレーしてその姿を子ども達に見せるべきだと思うのです。
まぁ、周囲の日本人選手にとっては恐ろしく付き合いにくい存在なんだろうけど…
それにしても、前から思っていたのですが、今の日本人のメンタリティーや文化背景から考えると、日本人はサッカーに向いていないのかもしれません。
ちょっと悲しくなりました…

2006年6月24日土曜日

2006ドイツW杯・日本グループリーグ敗退

終わりました。
日本のW杯が。
決勝トーナメント行きを楽観視するマスコミを尻目に、「イヤ、そんなに簡単じゃないぞ…」と少々ひねくれた感を見せていましたが、ここまで徹底的にやられるとは正直思っていませんでした。

しかし、よくよく考えれば、アジアカップにしろW杯のアジア予選にしろ、実は負けても仕方がない試合ばかりだったようにも思います。
なんだか良く分からないけど、ロスタイムになるとゴール前で「ラッキーパンチ炸裂!」そして「劇的勝利!」「サポーター喜ぶ!」「日本は強いんだ!(勘違い)」というラッキーな悪循環に見舞われていました。(時には相手チームの選手が自分のゴールにボールを蹴り込んでくれたりもしましたが…)
さて、今回の不甲斐ない代表の原因は「ジーコの無策」だと鬼の首を取ったように叫ぶ人達がいますが、今大会を見れば分かるように、選手の質が違うのは明らかです。
監督がジーコでなかったらこの日本代表はオーストラリアにもクロアチアにも確実に勝ち、決勝トーナメント行きを決めていたでしょうか?
前回のベスト16を上回るのは当然といわれて言いましたが、本当にベスト8以上の力があったでしょうか?
トルシエなら勝てたのでしょうか?
これまでも何度か書いてきましたが、日本はサッカーではまだまだ後進国だと思います。
野球の世界では、イチローやゴジラ松井、大塚などがメジャーで「主力」としてチームに貢献しています。
サッカーにおける日本の海外組はどうでしょうか?
ほとんどの選手が試合に出られない状態で、なぜ日本のレベルが世界の上位に近いと言えるのか分かりません。
そんな後進国の日本は、小学生が何年か先に選手として花開くために、基礎固めをしなければいけない段階と同じです。
そこで大切なのは、練習試合や大会での勝ち負けや成績ではなく、どの様なサッカーをしようとしていたか、どの様なプレーが出来ていたのか、通用したのか、通用しなかったのかという事を厳しい目で見ることだと思います。
そして、その課題を基に先を見つめてトレーニングに励むこと。
つまり、アジアの中でギリギリで勝ったものの、内容的にはお寒い試合をしていようとも、「勝った」ということに満足してはいけないと思うのです。
親善試合で、地球の裏側から前日に到着して、時差ボケ&気候の違いにも有無をいわさず試合をさせて、僅差のゲーム(当然内容は乏しい)をくり返すことで、FIFAランクが上がることで大喜び…
本当に世界のトップレベルと肩を並べたいのならば、目指すべき目標をハッキリとさせるべきです。
泥試合から勝ちを拾うことではなく、日本人の体格、運動能力で世界に通用するサッカーを目指さなければいけないのです。
それは、代表レベルに限ったことではないと思います。
日本では(といっても海外のことは良く分かりませんが…)「勝てば官軍」という考え方が根強い感じがしてなりません。
所謂「強豪」といわれるチームのほとんどが、ボールを正確に丁寧に扱うという事や、相手のウラをとる攻撃を目指すことよりも、リスクの少ない「負けないサッカー」をしていると感じるのは自分のひねくれたモノの見方なのでしょうか?
しかし、その結果が日本代表の「武器」とされるタッチライン際からのクロスボールに表れているとしか思えません。
日本人の体格、運動能力は、世界レベルと比べると低いでしょう。
そこに空中戦を挑むのは無謀としかいいようがありません。
本当に針の穴を通すほどのコントロールされたボールをハイプレッシャーの中でも蹴れる選手がいるとも思いません。
(それでも、空中戦を制するのは難しいと思いますが…)
日本の目指すべきサッカーは、アルゼンチン・ブラジル・メキシコといったところが見せてくれた、ショートパス主体で組み立てて、相手を崩すサッカーだと思うのです。
今回のブラジル戦で、玉田が獲ったゴールはペナルティエリア内でのショートパスからでした。
その前の、加地の惜しい(?)場面も小笠原からのショートスルーパスでした。
しかし、そのためにはゴール前の相手が最も警戒しているエリアに一度はボールを運ぶことが必要となります。
今回は、そこにボールが運べないばかりか、そこでボールを持っても前を向けず(向かない)、後方へ下げるかサイドへ散らすのみ…
そこでボールを奪われてカウンターを喰らうことを警戒するよりも、ボールを奪われないような技術を身に付けるようにすべきです。
そして、それは代表世代になってから身に付けるのではなく、その前の段階なのです。
だからこそ、小学生のような時期にある日本代表にとって、ある程度の失敗は必要なのです。
目の前の試合は常に「負けられない闘い」ではないのです。
たとえ、今回のドイツ行きを逃したとしても、しっかりとしたビジョンを持ったサッカーをすべきだったと思います。
サッカー協会は、次の代表監督の人事に動いているようですが、どうなるでしょうか?
トルシエは組織を重んじる監督で、「オレのいうとおりに動け!」と暴れまくりました。
対するジーコは、「サッカーは選手がやるモノ、試合が始まったらコーチのやれる仕事は非常に限られている」という考えの基、選手達を「信頼(?)」し選手達がお互いに話し合う中で、チームの形を作っていこうという姿勢でした。
という全く正反対の監督人事をする協会に将来のビジョンはあるのかと疑ってしまいますが、そんなジーコのおかげ(?)で、日本の選手は事細かに指示を出されないと何も出来ない「機械」のようなモノだという事が露呈してしまいました。
そんな「機械」の選手達も「感情」は持っているようですが、自分の目にはそれは薄っぺらなモノとしか写りません。
以前、中田英がボランチをやっているときに、ガンガン上がって攻撃参加をしていた試合がありました。
その時、トップ下だった中村はバランスを取る為にボランチの位置に下がって、ディフェンスをしなければいけません。
そこで、中村は「ヒデさん上がりすぎ!」と思ったのです。
そこまではイイのです。
それを直接ヒデに言えば。
「ちょっと、ヒデさん上がりすぎだよ!もっとバランス考えてよ!」と。
でも、中村はなぜか宮本に「ヒデさんがあんなに上がると、オレが守らなきゃいけなくなっちゃうよ…ツネ、ヒデさんに言ってよ…」って、オマエ小学生か?
仮にもパパさんになった一人前の男がこのような状態とは…(中村ファンの方、スミマセン)
中村に限らず、インタビューでの「ファンの期待に応えられるよう…」とか「力を出し切って…」「自分達のサッカーを精一杯…」というセリフもなんだか上辺だけの言葉のようでコチラの心が動かないのです。
日本サッカーの父といわれる、クラマー氏が今の日本代表の問題点を「中田ヒデの行動を良く思っていない選手が多い」と言っていました。
「アイツ、張り切りすぎだよな…」「アツすぎ…」といったところでしょうか?
仕方がないことなのかもしれませんが、サッカーに魂を込めることの出来る11人が揃ってほしいと思います。
カズがフランスW杯で落選したときに「魂はフランスに置いてきた」といったのは練りに練ったセリフという感じがしてちょっと引いてしまいますが、カズがセリエAに挑戦するときの記者会見で「通用すると思いますか?」と聞かれ…「通用しないから行くんだよ!」とキレ気味に言った言葉には、ちょっと感動しました。
ちょっとチヤホヤされて、調子に乗る選手はもういりません。
サッカーバカの大量出現を待つしかないのでしょうか?
マスコミも選手を持ち上げすぎると思うのは気のせいでしょうか?
心から応援することが出来る代表になってほしいと思います。
日本のサッカーを胸を張って他国に誇れるようになりたいと思います。
だから、今は納得しません。
とにかく、頑張って欲しいです。
ガンバレ、日本!!
と…いつもながら、書いているうちに訳が分からなくなってきました。
あまり毒を吐きすぎて、サッカー界から干されても困るので、今日はこの辺で…

2005年8月8日月曜日

中野区トレセン合宿

8月4日から7日まで、群馬県片品にて中野区トレセンの合宿(遠征)が行われました。
つばさからは、ゆうたとりょうすけが参加。
自分もコーチとして参加してきました。
(その間に、iTunes Music Store Japanなるモノがスタートしていたとは…)
合宿の詳細に関しては、いずれ…
とりあえず、バーベキュー後にテンションが上がり、宿の入口にあるカエルの置物にまたがるMもとRすけのショットと、実はバーベキューは関係ないとばかりに、昼間からパンツ丸出しでカエルにまたがるR&Yのショットを紹介しておきます。
念のためというか、ダメ押しをしておくと、「ホームページに載せるぞ!」と言ったら、喜び勇んで自らカエルにまたがりました。
う~ん…

この2人が6年生の中心選手なんだなぁ…

2005年8月2日火曜日

東アジア選手権・北朝鮮戦

東アジア選手権、日本代表はW杯最終予選で2勝している北朝鮮に0-1で負けました。
ネット上でですが、マスコミの反応をさらっと見てみると、「波乱!」とか「まさかの…」や「屈辱的な…」なんて表現が目立ちます。
「ひとり言」を読んで頂いている方なら、もう分かると思いますが、自分はこう思います「波乱じゃなくて、十分起こりうる結果だろ?」と。

負けて当然とは言いません。
10年前と比べると、日本のサッカーレベルもかなりのモノになったと思います。
でも、勝って当然というレベルには、到達していません。
というか、アジアの中ではかろうじて、チョットだけ優位に立てているかも(?)しれないというような状況であるという事は、自分も感じています。
それは、サッカーのレベル(技術や駆け引きの能力)が飛躍的に上がったのではなく、ジャパンマネーの力で『世界の一流』と触れ合う機会をたくさん持つ事が出来たからだと思います。

Jリーグが出来て、そこにはサッカー小僧達が憧れる本物のスーパースター達が「選手」としてピッチに立ち、日本の選手達と一緒にプレーしていました。
ジーコ、リトバルスキー、リネカー(は期待はずれ…)等々…
その後も、カレッカ、ストイチコフ、ストイコビッチ、エジムンドなど、本当の一流が来日してプレーしていきました。
渋いところではハシェックなんて隠れたスーパースターもいました。
(ちなみに、リネカー、ストイチコフとW杯の得点王を2大会連続で来日させたほど、当時のJリーグは潤っていました。あ、スキラッチも来てた!)
今で言えば、ジダンやロナウド(…は凄すぎるか?)がJリーグでプレーするようなモノでしょう。

指導陣も半端ではありませんでした。
メジャーではありませんでしたが、日本代表を変えたオフトは、その後もジュビロ、レッズが強くなる基礎を築いた下地作りのプロ(?)として抜きん出ていました。
(実は日本リーグ時代にも「マツダ」「ヤマハ」を指導し、チーム力を上げた実績がある。結果を出せない監督ではありますが…)
今や世界のトップ監督であるベンゲルを始め、各国でトップレベルの指導力を持っていると言われている人物が、次々とJクラブの監督に就任しました。

そして、代表チームは強豪といわれるチームと何度も対戦する事が出来ました。
ブラジル、アルゼンチン、イタリア、ドイツ、フランス…
そのためか、知らず知らずのうちに、日本のFIFAランキングが急上昇してしまったのも、日本中を勘違いさせてしまう事に手を貸しているのかもしれません。
(強豪と良いゲームをすればランキングは上がる。それも数が多いほど。日本という辺境でゲームをすれば、相手のコンディションは最悪、それなりに競ったゲームになるハズなんですが…しかも、親善試合なんかは、来日してすぐ試合という事が当たり前ですから。)

選手個々の力が他国と比べて特に抜けているとは思いませんが、このような周囲を取り巻く「環境」や「経験」が日本サッカーの見えない「力」を後押ししていると思います。
それに加えて、「入っちゃった!」「勝っちゃった!」という試合内容ながらも、着実に結果を残してきた日本代表なのですが、この「勘違い」したままでは危険だと思うのです。
だからこそ、「勝って良かったのか…」と思う事もありました。

さて、今回の敗戦をもう一度振り返ってみましょう。
失点は、中沢のイージーミスですが、そんな事はサッカーではよくある事です。
(まぁ、「よく」あってもらったは困りますが、ミスがらみで失点するのはある程度計算済み)
ディフェンスに関して言えば、それ以外の部分でしっかりと対応出来ていたのかどうか。
ゴールが決まったかどうかという事も重要ですが、ゴール前で崩されていたかどうかの方が大切だと思います。

問題はやはり攻撃陣(というと攻撃的なポジションの選手ばかりが対象に思われてしまいそうなので、DFも含めた攻撃の組み立てということにしておいて下さい)でしょう。
「決定力不足」と言われていますが、それはFWばかりのせいとは言えません。
前半の途中で、いつものように強烈な睡魔に襲われたため、所々で意識がなくなっていますが、自分の記憶している限りでは、決定的なチャンスは1度だけでした。
田中達也がドリブルで中へ切り込んで打ったシュート…ではなく、そのこぼれ球に詰めた大黒が勢いよく飛び込みすぎ、キーパーにボールをぶつけてしまった場面です。
でも、見方によっては、その場面ですらこぼれたボールとキーパーの距離が近すぎたので、決めるのが難しいとも思えました。

その他は、相手ディフェンダーにも分かるようなタイミングと軌跡でゴール前に「放り込まれる」アバウトなクロスのみ。
それを決めないからといって、日本のFWには決定力がないといわれるのでは、FWの選手が可哀想な気がします。
というか、そんな「クソ」みたいなクロスをバシバシとゴールにたたきつけるようなFWがいるとしたら、間違いなく世界一のストライカーになれると思います。
(一度だけ、前半に早いタイミングでボールを繋いで相手ディフェンスの中央を崩しかけた場面がありましたが、ラストパスがずれてしまいシュートまでもっていけませんでした)
点が取れないのは、FWの責任もあるが、そこまでの組み立てがダメだからだと自分は思うのです。

アジアカップとW杯予選での日本の勝ちっぷりは、そんな中からこぼれ球を押し込んだり、相手チームが自分のゴールにボールを蹴り込んでくれたり、ノープレッシャーでボールを丁寧に蹴れるセットプレーから生まれたモノがほとんどだと記憶しています。
速いパス回しが日本の持ち味といいますが、そんなプレーは2~3試合で1度見れればいい方です。
そんなんで良く勝ち上がってきたものだと、「神様」ジーコの神通力のすごさに驚くと同時に、そんな試合運びに堂々と胸を張る選手やサポーター、マスコミが恥ずかしくなってしまうのです。

今回の敗戦で、またジーコ不要論が再燃するかもしれません。
自分もジーコが監督として優れているとは思いません。(選手としては抜群でしたけど)
でも、責めるべきは監督ではないと思うのです。
日本は、まだまだの国なんだという事をもっと感じてもらいたいのです。
選手達には力があるのに、監督の能力が低いから…というような風潮は何とかしてもらいたいと思います。
マスコミにも、サポーター連中にも、そして選手達にも。
選手達は、もっともっと上手くならなければいけないし、もっと純粋にサッカーに取り組んでもらいたいと思います。
そして、チョット勝つとものすごい勢いで選手達を持ち上げたり、有望な選手をいきなりスター扱いしてしまうマスコミやサポーターも、もっと(愛情を持った)厳しい目で見て欲しいとも思います。
彼等は、少年達の「夢」なんですから。

以上、日本がサッカー大国になる事を切に願う者より。

2005年6月23日木曜日

コンフェデ・ブラジル戦

目覚まし掛けて、気合いを入れて観ましたよ、ブラジル戦。
結果は2-2で引き分け。
サッカーといえばブラジルと思っているのは自分だけではないと思いますが、そのブラジルに引き分けたという「結果」だけをみても善戦したという事ですが、それなりにチャンスも演出出来ていたのが大きかったと思います。
たぶん、マスコミは手放しで褒めまくると思います。
確かに良かったのですが、そこを素直に認めないのが「ひとり言」流(?)ということで…

まずは、良いと思った点を…
選手としては大黒。
ホームの北朝鮮戦でゴールを決めてから、ラッキーボーイ的な扱いで一躍ヒーローとなりましたが、どうやら「流行り」で終わらなそうな気がしてきました。
なにより「純粋さ」を感じる事の出来る、最近では珍しいタイプの選手だと思います。
パスを出してくれようが、パスが出てこなかろうが、パスコースを見つければ必ずそこへ動き出します。
そして、「目指すはゴール!」というシンプルなプレーもイイです。
ディフェンスにとってはイヤな選手の典型だと思います。
ものすごいテクニシャンの選手にウラをとられまくりキリキリ舞いさせられるのもイヤですが、休みなく動き回る選手は精神的にツライもんです。
だって、フリーにする訳にはいかないですから…
それとは対照的なのが、「自称」テクニシャンの2人…
メキシコ戦ではイタリアでプレーしている左利きの人が、今日のブラジル戦では大船渡出身の仏頂面くんが消えていました。
なによりも、プレーに「ムラ」があるのは困ります。
そして、自分の思い通りに行かないとその原因を他に求める姿勢もどうかと…
その2人をトップ下に並べるジーコの懐の深さには感服です。
(後半にふてくされ顔の一人を下げたら、ボールが回り出したのですが…)
メキシコ戦では、ベンチに下げた選手がマスコミに監督批判をしていましたが、その選手をあえて使い続けるという、徹底した「選手を信じる」姿勢がチームの骨格を作っているのかもしれませんが…
改めて思うのは、「人間性」「パーソナリティ」って大事だなと…
もちろん、「選手として大成する」には「技術」「戦術」という面も大切なのですが、ベースとしての「人間性」は必要不可欠だと思います。
つばさの子ども達にも、そこを失わずに育って欲しいと思います。
チームとしては、シンプルにボールを動かす事でリズムを作れた事。
解説の清水氏が「ブラジルは決して難しいことをしているわけではない。シンプルなプレーの連続でチャンスを作っている。」というような事を言っていました。
その通りだと思います。
でも、ブラジルのボール回しと、日本のボール回しには雲泥の差があると思うのです。
プレッシャーの中にボールを入れても「シンプル」にプレー出来るブラジルと、ボールをなくしてしまう日本…
そこには「技術」「経験」「したたかさ」など、色々な面での差がある事を痛感させられます。
(メキシコ戦でもそれは感じました)
それぞれの2点をみても、分かると思います。
日本の2点はミドルシュートとセットプレーから。
ブラジルの2点は流れの中からで、しかもペナルティエリアの中でボールをつながれて、ディフェンスのバランスを完全に崩されていました。
ゴールにならなかった場面でも、ゴール正面やペナルティエリアの中で「余裕」でボールを持たれて、「くずす」プレーを狙われていた事が何回もありました。
対して、日本にはそんな場面があったかな…という所をみると、やはり点差以上の差はあると思わずにはいられませんでした。
今の日本には、自分たちでゲームをコントロールしてゲームの主導権を握りながら…というゲーム運びは難しいのかもしれません。
そう考えると、トルシエのとったリアクションサッカーは、結果を残すためには最善の方法だったのかもしれません。
「W杯ホスト国として、恥ずかしい思いをしたくないのなら、オレの言う通りにしろ!」というのも、今にして思えば正しかったのかなと…
(あり得ませんが、自分がトルシエの下でプレーするとしたら、絶対にイヤですけど)
でも、それでは日本のサッカーに未来はありません。
本気で世界のトップと渡り合うためにはという前提ですが…
アジアをなんとか勝ち抜きたいというのであれば、それで構わないと思います。
そこに登場したのが、「神様」ジーコ。
ブラジルから代表監督の要請を受けた時も(アントラーズからも?)断ったという話しが流れていたほどだったので、まさか日本の代表監督になるとは思いませんでした。
その真意は分かりませんが、「日本に恩返ししたい」「日本の未来のために」という「日本人的」な義理・人情があるという話しも聞きます。
そのジーコに対しては賛否両論ですが、基本的なスタンスは日本にとってプラスになると思います。
プレーするのは「選手」であって、瞬間の状況判断でゲームを打開するのも「選手」なのです。
その「選手」の「判断力」「責任感」を徹底的に信じることで、チームがまとまってきたのかもしれません。
招集する選手やゲームに出る選手の選考には、大いに異論がありますが、チームを「ファミリー」として大切にするジーコの「人間性」「パーソナリティ」を応援していきたいと思います。
(でも、ボールにツバはかけないでね)
長くなってきたので、今日はとりあえずここまで。

2005年6月18日土曜日

コンフェデ・メキシコ戦

16日の深夜に放送された、コンフェデ・メキシコ戦を観ました。
柳沢、ノッてますね…
軸足のスネだかふくらはぎだか分からない所に当たったボールが、あんなに見事な軌跡を描いてゴールに吸い込まれるんですから…

それにしても、メキシコ、上手いなぁ…
身体能力的には、日本人とそんなに変わらないはずなのに、やっているサッカーは全く違う。
あ、日本代表にも南米生まれ&育ちの選手がいたっけ!
とても恥ずかしくて、「ブラジル人です!」なんて言えなさそうだけど…
さて、メキシコの上手いと思った所は、ボールの置き所。
トラップの時や、ドリブルの時、いつも相手の足が届かない所にボールをコントロールしている。
結果、日本人みたいにバタバタしたドリブルなど全く必要なく、常にゆったりと余裕を持ってボールをコントロールしていたような気がしました。
そして、相手選手が「頑張って」ボールを奪いに来たら、その力を逆に利用してクルッとターンして前を向いてしまう。
プレッシャーを受けながらも、なかなかボールを失わない理由はそこにあると思いました。
ただ、物足りないのは、ゴール前での「強引さ」。
ショートパスでつなぎ倒すのですが、「それで?」という感じもありました。
全盛期のコロンビアを彷彿させますが、そのころのコロンビアには「天才」バルデラマや「快足フォワード」リンコンとアスプリージャがいました。
あのころのコロンビアサッカー、面白かったなぁ…
ペナの中に入っても、相手ディフェンスラインの裏にグランダー(ゴロ)でスルーボールを通したりするんですから…
そのころのコロンビアとメキシコとの違いは、ゴール前の「怖さ」でしょう。
ドリブルで最後の局面を打開しようとか、急にスピードを上げてワン・ツーで突破とかのシーンが観られませんでした。
(それでも、あれだけ動かされると、十分『怖い』んですけどね)
メキシコの監督の話だと、今回のチームは「一軍半」という事なので、ベストの布陣を組んだらその辺が違うのかもしれません。
そして、日本のサッカーですが…
相変わらず、ボールを回すのは最終ラインとサイドのみ。
中央付近にボールを入れると、たちどころにボールを奪われ、カウンターを喰らいます。
メキシコの選手達と比べると、簡単にボールを奪われすぎる気がします。
なぜか?
自分なりに考えました。
それは、育ってきた環境に違いがあるのではないか。
日本が経済的に恵まれているとか、ハングリー精神がないとかそういった事ではありません。
(それは別の意味で、影響していると思いますが)
日本の小学生、中学生、高校生のやっているサッカーに問題があるのではないかと思うのです。
しかも、「強豪」と言われているチームほど顕著な気がします。
それは、中盤を省略するサッカーです。
日本では、基本的にトーナメント戦が主流です。
つまり、リーグ戦のように「負け」を別の試合で取り返すという事は出来ません。
「負け」はすなわち大会から姿を消す事を意味します。
そのため、中盤でボールを奪われてカウンターを喰らう事を恐れ、中盤の選手の頭を越え、フォワードへ直接蹴り込むサッカーが多いのです。
中盤の選手は、フォワードが相手ディフェンダーと競り合ったこぼれ球をひろって2次攻撃を仕掛ける役目を割り当てられます。
「勝つ」ためというよりも、「負けない」サッカーを小さな時から叩き込まれてきた日本人選手達に、中盤でボールを回すという事を要求するのが酷な話しなのかもしれません。
また、学校体育が主流となっている現状にも問題があると思います。
最近でこそ、Jの下部組織が市民権を得てきましたが、やはり学校体育の部活が多数を占めます。
中学年代まで面倒を見てくれる地域のクラブチームもだいぶ増えてきましたが、トップ(大人)までつながっているか、いないかはとても重要な事だと思います。
トップチームまでつながっているクラブチームは、どんな事を考えて小学生~高校生の時期を過ごさせるのでしょうか?
トップチームで活躍できるようになることを最優先すると思います。
(もしくは、他のチームに高く売れるような選手)
という事は、その時期の試合は、あくまでもトレーニングの一環であって、ターゲットは5年後の「コイツ」なのです。
ところが、学校体育や中学年代までのクラブではどうでしょうか?
誤解があるといけないので、最初に断っておきますが、どちらのチームの指導者も、チームが勝って名前が売れる事よりも、自分の見た選手を伸ばしてあげたいと真剣に考えている指導者もいます。
でも、「強豪」と言われる事により快感を得ている指導者の方が多い気がします。
また、そのような「結果」(大会の『結果』であって、優秀な選手を育てた、選手を伸ばした『結果』ではない)を残しているチームに、優秀な選手が集まるのも事実です。
九州の強豪校は、日本のトップ選手を何人も輩出していてもイイほどの「実績」を残していますが、卒業後もトップレベルで活躍しているのは数えるほどです…
ということで、日本と世界の違いは色々な所にあると思います。
ここに書いた以外にも、日本で本当のサッカー選手が育つような環境が整うのは、かなり時間がかかりそうです。
選手もチヤホヤされて勘違いしちゃいますしね…
どこまでが本当の話か分かりませんが、メキシコ戦後の俊輔の暴走がニュースになっています。
悲しい事です…

2005年2月9日水曜日

日本 VS 北朝鮮

日本中が大騒ぎの、W杯最終予選第1戦「日本VS北朝鮮」。
私も見ました、自宅のテレビで。

代表の試合を見ていると、いつも襲ってくる強烈な睡魔と闘いながら、なんとか前半を見切りましたが、ハーフタイム中に力尽き、意識を取り戻した時は後半20分。
なんと、1対1じゃないですか。
北朝鮮はどうやって得点したんだ?
高原と中村はどこから出てきたんだ?
と思いながらも、「まぁ、イイか」と考え直し、何とか眠気を覚ます事に力を注ぎます。
その後、判で押したようにくり返される退屈な日本のサイド攻撃に耐え抜き、無事試合終了を迎える事が出来ました。

結果は2対1で日本の勝ち。
テレビ朝日の画面には、デカデカと「日本劇的勝利!」とスーパーが出ています。
アナウンサーも、解説者も、「素晴らしい!」「よくやった!」と絶賛しています。
試合を終えた選手達も皆、誇らしげな顔をしています。
でも、私は思うのです…「ひどいモンだ」と。
「ひどい」というのはちょっと言葉が過ぎる気がするので、「素晴らしくはない」「もうちょっと何とかしようよ」と言い直す事にしましょう。

実を言いますと…ここ最近、いやここ何年か、代表の試合を見ていても心の底から「頑張れ!」と応援する気になれないのです。
以前は本気で応援していたのです。

メキシコW杯を目指していた森孝慈監督率いる日本代表。
サッカーがまだマイナースポーツだった頃、満員になった国立競技場に興奮し、テレビにかじり付いて応援したものです。
ジョージの日本帰化に大喜びし、木村和司のフリーキックに歓喜し、石神のクリアミスにガックリと肩を落としていたのです。

さらに、代表に初の外国人監督オフトを迎えて臨んだアメリカW杯予選。
これまでの「蹴る!」「走る!」「頑張る!」というサッカーから、ガラリと変わった日本のサッカーを見て、「おぉ!サッカーやってる!」と感動したのを思い出します。
それに加えて、カズ、ラモス、柱谷などをはじめとする、濃いメンバー構成。
彼等のプレーしている姿を見て、とっくに現役を退いている自分の中に熱いものがこみ上げてきたのは内緒です。

そして、加茂監督が「ゾーンプレス」「モダンサッカー」という言葉をひっさげて挑んだフランスW杯予選。
そのころの自分は、「むしろ、勝たない方が良いんじゃないか?」という思いがチラチラと顔を出すようになってきました。
それでも、まだかろうじて「ガンバレ日本!」とは思っていましたし、骨折した足を引きずっての中山の炎のゴールには感動しました。
その反面、城彰二や中田英寿には何か違和感を感じつつ、アトランタ五輪以降、輝きをなくしてしまった前園とともに「若い」選手達に異質のモノを感じていたのです。

この心変わりは、自分でも不思議でなりません。
自分は非国民なのか、相当なへそ曲がりなのか、それとも世間一般の人とは同じ考え方が出来なくなってしまったのか…
自分なりに考えると、それなりに理由は見つけられます。
簡単に言うと「心」が動かされないのです、最近の代表には。

オフトジャパンまでの日本の選手達は、明らかに自分たちが世界レベルではないと自覚していました。
それを十分承知した上で、「世界レベルの表舞台に出たい!」「俺たちはサッカーがうまくなりたくて仕方がないんだ!」「サッカー愛してるぜ!」というガツガツした気持ちがプレーに表れていたのではないでしょうか。
ブラジル人のラモスにしても、ブラジルでプロ契約をしてそれなりの働きをしてきたカズにも、そんなギラギラしたものを感じる事が出来ました。
それに加えて、闘将柱谷や、カニばさみの都並、アジアのカベ井原や、ウドの大砲高木、地味な汚れ役森保にも「心」を動かされっぱなしだったのを記憶しています。
オフトのサッカーに影響され、どんどん変化していく代表チームと個々の選手。
その変化を彼等自身が本当に喜び、楽しんでいたのではないかと勝手に解釈していました…というか、そう思ってしまうほど、気持ちが入っていたのだと思います。

そして、今の日本の選手達。
みんな同じような色の髪の毛と、どこかで見たようなヘアースタイル。
イタリアで活躍中(オッと、活躍中ではないか…)のあのお方に至っては、奇抜なファッションで成田に颯爽と登場したり、自身のセレクションCDを発売したり、色々と迷走しているようですが…
「オレ、結構サッカーうまいぜ!」「オレ、有名人?」「オシャレにも気をつけなきゃ!」なんて事を考えていないとは思います(というか願っています…)が、そんな雰囲気を感じてしまうのです。

それに加えて、マスコミとサポーターと呼ばれる人達。
日本のサッカーが、世界の上位に位置しているのが当然だと言わんばかりです。
前回の日韓W杯でベスト16に進出したことで、その勘違いにはさらに拍車がかかり、ドイツW杯ではベスト16は最低ラインだとかいう雰囲気になっています。
自分はこう思うのです「オイオイ、ちょっとまて」と。
日本サッカーのレベルは、そんなに高くないぞと。

確かに森ジャパンの頃にくらべると、そのレベルは格段に上だと思います。
でも、それは過去の日本と比べての事。
世界レベルで見れば、「その辺の国の1つ」程度のレベルでしかないのです。

最近では、数名の選手が海外のチームと契約し、現地のチームでプレーしています。
こんな事も、昔は考えられませんでした。
奥寺がドイツに行く事になり、日本中(いや、日本中ではなく日本のサッカーファンですね、マイナースポーツでしたから…)が大騒ぎになったのは遠い昔の話しです。
でも、外国人枠を使っているのに、本当に活躍してくれている選手はどれだけいるでしょうか?

ナカータは、フィレンツェでは「ヤツはサッカーではなく、ファッションにより多くの興味があるようだ」と囁かれているようです。
また、中村に至っては「ゴールに絡んだ!」という報道が日本で盛んにされていますが、そのほとんどはセットプレーから生まれたもの。(もしくはゴールの前の前の前のプレー?)
流れの中からのプレーこそがサッカーだと思うのですが、そのようなプレーは90分のうちに1~2回あるかないかのようです。
小野伸二には密かに期待しているのですが、チームのために自分を犠牲にするという日本人の心意気を存分に発揮しているため、その能力を十分に発揮していないのでは…
噂で終わった宮本に至っては、移籍先とされるチームの監督が「ミヤモト?知らないなぁ…でも、日本人なら、たくさんお金を持ってきてくれるんじゃないか?」とコメントしたとかしないとか…
その他の選手に関しては、「頑張ってるかな?」という程度です。
中には、なかなか試合に出られない選手すらいます。
そんな日本人選手達、果たして世界の上位に顔を出すような代表の中心選手なのでしょうか?

そして、現在(最近)の代表チーム。
テレビ観戦をしていて、猛烈な睡魔に襲われるのは、そのゲーム展開のせいだと思うのです。
今の代表の武器は?
たいていの解説者はこう答えます。
「クロスとセットプレー」

セットプレーに関しては、先ほども書きましたが、サッカーであってサッカーの本質ではないと思っています。
制止したボールを、ノープレッシャーで蹴れるのだから、ある程度イメージ通りになって当たり前。
というか、ある程度のレベルのチームであれば、セットプレーがチャンスになるのは当たり前の事。
流れの中で、相手のプレッシャーを受けながら、瞬間の判断で相手のウラをとるのがサッカーの魅力。
そういった意味で考えると、セットプレーを「武器」として大々的に出されてしまう代表の攻撃力の低さを物語っていると思うのですが…

もう一つの「武器」である「クロス」…
「クロスボール」「センタリング」と色々な言い方はありますが、サッカーにおいてサイドからのボールというのは、ディフェンスにとって非常に守りにくいのは事実です。
ディフェンダーにとって視界の確保というのは絶対です。
ボールとマークする相手選手を、常に同一視野に入れる事を要求されます。
ボールに気を取られている間に、マーカーがディフェンダーの視野から見えない所に素速くポジションチェンジする事を「消える動き」といい、優秀なストライカーには必要不可欠な要素の一つです。
また、ボールばかりに目がいってしまう選手の事を「ボールウォッチャー」といい、ダメな選手の代名詞となっています。
さて、サイドからのボールが守りにくい理由はココにあります。
自ゴールを背にして、正面にボールがあれば、ボールとマーカーを同一視野に入れるのは簡単です。
しかし、ボールがサイドにあると話しは変わってきます。
右サイドにボールがあって、マーカーが自分の左手方向にいたらどうでしょう?
カメレオンやシマウマでなければ、両方を視野に入れるのはむずかしいでしょう。
それを少しでも楽にするために、身体の向きを工夫して視野の両端に入れるようにするのですが、守りにくい事は確かです。
ましてや、サイドの選手がドリブルで中に切り込んできたりしたら、その対応に出なければなりません。
当然、背後のマークすべき選手は視界からは完全に消えてしまいます。
そこにグランダー(ゴロ)のボールをあわされると、フリーでシュートを打たれる事になってしまいます。

しかし、現在の代表の「武器」といわれている「クロス」はそのようなものとはちょっと異なります。
クロスを上げる位置はタッチライン際で、中にドリブルで切り込んでくる事はほとんどありません。
しかも、ボールは浮き球です。
遠い位置からの浮き球のセンタリングに対応するには時間的な余裕があります。
完全にボールを奪ったり、きれいにクリアする事が出来なくても、相手に身体を密着させる事で、簡単にシュートをコントロールさせないようにする事も可能です。
さらにいえば、たいていセンターバックには、この空中戦に強い選手を置きます。
ですから、浮き球のセンタリングをキレイに決めるためには、「マークがずれた瞬間」に「出来るだけ速く」しかも「正確にコントロールされた」ボールを上げる必要があります。
その上、浮き球を正確にミートするシューターの技術も必要となります。
アレックスと加地のクロスがこの条件を満たしているとは思いませんし、ゲンク鈴木と玉田が空中戦に絶対の自信を持っているとも思いません。
それでも、愚直にクロスを上げ続けるアレと加地。
また、その二人にボールを供給し続ける中盤の選手には何も感じられません。

日本はどこを、何を目指しているのでしょうか?
アジアでそこそこ勝てるチームを目指すのであれば、この方法をゴリ押ししていれば、時にはアジアチャンピオンになれる事もあるし、運良くゴール前でジャンプした頭にボールがヒットしなければ途中敗退という事もあるでしょう。
アジアには、ドイツやオランダ、デンマークみたいにバカでかい選手がゴール前で守っている事も少ないでしょうから…

さて、今日の試合では北朝鮮が日本のやるべきサッカーを目指していたように見えました。
日本のやるべきサッカーとは、簡単に言えば「身体能力に頼らないサッカー」。
正確なボールコントロールと、タイミングで相手ディフェンスラインを崩すサッカーを目指さなければ世界の舞台には出て行けないと思います。
シュートチャンスを演出するまでの北朝鮮のボールの動かし方は、日本も大いに参考にすべきだとすら思いました。

日本のボール回しといえば、最終ライン付近のノープレッシャーの地域でのみ。
前線に入るボールは、ディフェンスラインからのロングボール。
最終ラインで時間をかけて回して、回してロングフィード…「どうせロングボールを入れるなら、もっと早く入れれば?」と思います。
たまに中央にグランダーでボールを入れても、ちょっとプレッシャーを受けたらすぐに最終ラインにもどすか、サイドに逃がす。
そして、サイドの浅い位置からアバウトなクロスボール。
これは、身体能力をウリにしていた頃の韓国やドイツの戦い方。
いや、当時の韓国やドイツの方がスピードがあったような気がします。
こんな試合を見ているのですから、睡魔に襲われるハズです。

対する北朝鮮は、中央付近の高い位置の選手へグランダーのボールを入れ、そこからダイレクトやツータッチでショートレンジのパスを展開。
また、タテパスを受けた選手がちょっと後ろに位置する選手へボールを落としたり、ヨコバスを入れている間に、後方から次々と選手が上がってきて、より厚みのある攻撃をする。
一つでも多くパスコースをつくり、ディフェンスに的を絞らせない。
そして早く正確なボール回し。

こんなサッカーこそが日本の目指すサッカーであるべきだと思うのですが…
しかし…今日の北朝鮮に足りなかったのは「正確さ」。
残念だったのは、所々でパスがずれたり、コントロールをミスしたりしてボールを失う場面が多かった事です。
「残念」という言葉が適切かどうか分かりませんが、日本全体を覆っている「オレ達のサッカー強い!」という勘違いに気付くためには、北朝鮮のような国にガツンとやられる必要があると思うのです。
ドイツに手も足も出なくても、「やっぱりドイツは強いなぁ」で終わってしまいました。
一昔前のドイツにあった「身体的な強さ」ではなく「巧さ」にやられたのに…
その点、格下だと思って(勘違い)いる北朝鮮にチンチンにされれば、ちょっとは目が覚めるのではないかと期待したりもしたのです。

でも、勝ってしまいました。
それも無様な勝ち方で。
確かに勝つ事は重要です。
特に今回の勝利は、W杯へつながっています。
ワールドクラスの相手とガチンコ勝負をするという「経験」は何事にも代えがたいモノです。

それでも、思うのです。
「勝って良かったのかなぁ…」「こんなサッカーで世界に出るのは恥ずかしいなぁ…」ましてや選手達も、マスコミも、サポーターと呼ばれている人達も自分たちのサッカーがなかなかのモノだと勘違いしている状態では、世界に恥をさらしにいくようなものなのでは?
いや、一番悲惨なのは、このまま勘違いし続けていたら、日本のサッカーの進歩は何十年も遅れてしまうのではないかという事です。

やっぱり、日本人の国民性はサッカーには向かないのだろうか?
日本の解説者の人達の本音はどうなんだろう?
こんな事を考えているのは、自分だけなのだろうか?
以上、非国民の毒舌でした…

2003年8月5日火曜日

レアル VS FC東京

何かと話題のレアル対FC東京戦、見ました。
テレビでですけど…
久々にテレビ観戦で眠気に襲われずに、楽しく見きりました。
最近、ホームページを更新するようなネタがないので、番外編としてこの試合を見て感じたことをちょっと(のつもりが長くなってしまいました…)書きたいと思います。

まず、ベッカムの扱いですが…ベッカム本人がどう思っているのか分かりませんが(実はまんざらでもないかもしれない)サッカーの実力よりも、そのルックス(ばかりでなく、嫁さんの存在や収入など)でのアイドル扱いが可哀想でなりません。
サッカー選手なのですから、サッカーの実力を評価してあげるべきだと思うのですが…
海外での報道がどうなっているのか分かりませんが、「レアル」の来日というよりも「ベッカム」の来日という扱いはいかがなものでしょうか?
硬派であるはずのニュース番組でさえ、「ベッカム初得点!」とか「ベッカム、ついに来日!」とか…
日本に本当のサッカー文化が根づくのには、まだまだ時間がかかると感ぜずにはいられません。
(このミーハーな所が今の日本の象徴なのでしょうけど)
私個人としては、ジダン(今回はケガで出場しませんでした)やロナウドの来日の方に興奮するんですけどね。

さて、試合の方はそれなりに楽しめました。
ともにシーズンを終えたばかりの両チームですが、レアルの方はリーグ戦が終わってから1ヶ月近くが経過しており、新監督になって間もないのに対し、FC東京の方はこの前の土曜日にJリーグの日程が終了したばかり。(しかも、16日からはセカンドステージ開幕)
石川などの数名が代表合宿に招集されている様ですが、コンディション的にはFC東京の方がトップコンディションに近いといえるでしょう。
実際、ロナウドなどはブクブクに太っていました…
もっとも、膝をケガしてから、あまり走り込みが出来ない(したくない?)との理由で、全盛期と比べると太めの体型で今シーズンを過ごした(スペインでは『妊婦』とか揶揄されていたようです)のですが、今日のロナウドは更にボリュームアップしてました。

立ち上がりは、雨で芝が濡れていてボールがスリッピーだったのと、コンディション不良からかレアルの方にイージーなパスミスが目立ちました。
(テレビの解説では、FC東京のプレスが機能していると言っていましたが、自分はレアルの自滅という感が強かったような気がしました)
しかし、前半も15分ほどが過ぎた辺りからは、グランドにも慣れたのかイージーミスが少なくなり(それでも何度かはあります、人間ですから)速いパス回しから次第にペースをつかんできました。

パスをつなぐといっても、(FC東京に限らず代表も含めて)日本のチームの場合は、ほとんどノープレッシャーの最終ラインでどうでもいいパスを回すだけ。
結局、前戦にボールを預けるのはアバウトなロングボール…じゃあ、パスを回す意味ナイじゃん!と思うのは私だけでしょうか?

レアルの凄い所は、高い位置でボールを回せる事です。
トップに当てて中盤に落としたボールをサイドへ展開したり、最終ラインで持っているボールをトップや中盤の選手を使って出し入れしたり…とにかく速いリズムでボールが動きます。
その結果、高い位置でフリーで前向きにボールを持つ時間が(一瞬ですが)でき、そこから多様なくずしのプレーが生まれてきます。
ジダンがいれば、トップ下のスペースでもうちょっと面白いことが出来たんじゃないかなとも思えただけに非常に残念でした。

高い位置(守備側から見ると自陣ゴールに近い位置)でのパスにはコース、スピードに非常に高い精度が要求されます。
立ち上がりにレアルがリズムをつかめなかったのは、この高い位置でのパス回しにちょっとした「ズレ」が目立っていたためだと思うのですが、テレビで解説者は「ボランチが一人だと良くないですね。二人になってからはリズムが出てきました。」と言っていました。
もっとも、自分は解説者の言うことに「そうかぁ?」と思う所からはいるので、本当にそうなのかもしれませんが、システムがどうとかではない様な気がします。

対してFC東京は…必死さは伝わってきましたけど、それだけでした。
ボールを持った選手を見ると、レアルの選手は落ち着いているのに、FC東京の選手達は何か余裕がなく、必死にドリブルしている感じでした。
もっとゆっくりやればいいのに…と、つばさの試合を見ていても思うことを、このレベルでも感じてしまうのでした。
くずしのイメージもなく、パスの精度に対するこだわりも低く(のではないかと思われる)まさにアバウトなプレーの連続でした。
しいていえば、サイドからのクロス(それもアバウト)で何とかしようというという感じでした。
まぁ、ケリーの個人技での局面打開というのもありましたが…
大人と子ども…そんな感じのする試合でした。

先程もチラッと書いたのですが、日本にはまだまだサッカー文化は根づいていないと痛感しました。
今日のFC東京をはじめとする日本人のゲーム運びというか、状況判断力は非常に幼い気がします。
だからこそ、組織的な戦術を好む指導者が多いのでしょうが、本当の意味で世界と渡り合うためには、アドリブ的な即興性が必要だと思います。
それは、「遊び」の中から生まれてくるもので、「規律」や「組織」という枠組みを重要視している中からは生まれにくい(全く生まれてこないというわけではないでしょうが)と思います。
だからこそ、子ども時代は「遊び」の感覚をもっと前面に押し出した方がよいと思うのですが、試合には勝たなければいけないのが、また日本の風潮でもあると思います。
もちろん、負けていい試合なんてあるわけないのですが、技術や判断力がない部分を戦術や組織で補うのは、大人の世界でならまだしも、子どものサッカーに必要なのかと思ってしまうのです。
技術や判断力の差で負けたのならば、潔く相手を認めるべきで、負けた原因をしっかり認識して努力すればいいのではないでしょうか?
「勝てば官軍」という言葉は、少年サッカーに当てはめてはいけないと私は思っています。
勝つために工夫をするのは良いことなのですが、それが大人からの「指導」という形で「組織」「約束事」を守らせる事に終始するのは、子どもの可能性を摘んでしまっていることにもなりかねないと思います。

大きな大会になればなるほど、子どもも大人も「勝利」を望む。
ごく当たり前の事ですが、大人はそこに子ども達の将来を見据えていないといけないと思います。
子ども達はひたすらに「勝つ」ということに執着して欲しいとは思いますし、勝つための工夫をして欲しいのですが…

海外の少年サッカーはどうなっているのでしょうか?
詳しくは知りませんが、「全日本少年サッカー大会」のような全国大会は、ほとんど無いと聞いています。
U-18(高校生)の年代でもあまり無いそうです。
もっとも、海外はクラブ単位での活動なので、日本のそれとは事情が異なると思いますが…

以前、セルジオ越後(日系ブラジル人で、ブラジルではペレの後継者といわれたリベリーノとポジション争いをしたほどの名選手)の話しを聞いたことがあるのですが、やはり「全国大会」などは、ブラジルでは考えられないといっていました。
1日で終わるような、地域のチームを集めたプライベートな大会(集まるチームは毎回ちょっとずつ変わるらしい)を月に2~3回くらいのペースで行うそうです。

また、低年齢(小学生期)からトーナメント戦を行う事も考えられないそうです。
当然ながら、トーナメント戦では負けたらお終い…したがって「負けないサッカー」になってしまうのです。
それは「遊び心」「創造性」といった事とは縁遠いサッカー…
そう、これこそが今の日本の状況なのではないのでしょうか?
「全日本少年サッカー大会」を思い切って廃止してしまうというのも一案だと思いますし、実際そう唱えている指導者も多いと聞きますが…

さて、話しをレアル戦に戻すと…
今日のゲームは、やっぱりロナウドでしょう!
太めの身体のため、タテへのスピードは全盛期と比べると見る影もありませんが、その分「巧さ」で見せてくれました。
やはり、「速い」だけではなく、「巧さ」も併せ持っていてこそのスーパースターだと再認識しました。
同じブラジル人のロベルト・カルロスは、「速さ」と「力強さ」…ボールを止める、蹴るなどの技術は高いのですが、「巧さ」はイマイチでした。
同サイドのハーフのソラリとともに、左サイドは崩壊寸前でした…

そして、ベッカムのサッカーは…
「可もなく不可もなく」といった所でしょうか。
サイドだけでなく、センターポジションもこなせる事を示したし、レアルの中短距離が主体のパス回しのサッカーにもそれなりに対応していました。
フリーキックは、ベストキックではないと思われるものの、ゴールを割りました。
相手のレベルが低い事を考えても、十分に戦力となっていたと思います。
今後の活躍で、「経済効果だけで獲得した」という妬みの報道をぶっ飛ばしてもらいたいものです。

がんばれ!サッカー選手ベッカム!