色々と考えるところがあって、6年生の試合についてコメントするのが遅くなりました。
1週間以上(ていうか2週間…)経つというのに、なかなか考えがまとまりません。
ということで、ダラダラと長い文章になってしまいました…
今までの「ひとり言」を読み返してみると、6年生(昨年の5年生)に関しては「良いゲームだった!」とコメントしているものはありません。
勝った試合でさえも「まだまだ物足りない…」といった様なことを書いてきました。
まぁ、これはどの学年のコメントを見ても当てはまるのですが…
結局、自分は『褒めないコーチ』なのかとも思ってしまいました。
とは言っても、他の学年に対しては「満点とは行かないまでも、及第点」とか「悪くない」といったコメントはしているような気がします…(すべて読み返したわけではないので、自分の記憶だけが頼りですけど)
では、つばさの歴代の学年の中では常に上位の成績を収めている現6年生のどこがいけないのでしょうか?
誤解を恐れずに言えば、勝ちすぎてしまったことかもしれません。
「勝ち」の味を最初(低学年の頃)から味わい、「勝ち」にトコトンこだわる。
そして、「負ける」事を非常に嫌がる。
これは素晴らしいことです、「競技」としてスポーツをする上では不可欠な要素だと思います。
しかし、これが裏目に出てしまったような気もするのもまた正直な感想なのです。
6年生(6年に限らず、つばさの子ども達には)には、力でゴリ押しするのではなく、技術と判断力で相手を圧倒するようにと言い続けていました。
パワーもスピードも自分より低いレベルの選手を相手にする場合は、判断ミスや技術的なミスを身体能力で帳消しにしてしまうことができます。
そして、今の6年生には、そのようにミスを帳消しにしてしまう身体能力を持っている子ども達が多いのです。
その結果、ミスをミスと感じない様になってしまっているのではないでしょうか?
コーチ達が「こんなんじゃダメだ!もっとボールコントロールに神経を使わないと!」とか「相手との駆け引きをしていないじゃないか!これじゃ能力の高い相手には通用しないぞ!」と言っても、結果として「勝ち」を手に入れている子ども達にはどれだけ浸透していたのか…
「勝ったからいいや!」とまでは思っていないでしょう。
しかし、勝ったゲームの中からストイックなまでに課題を見つけ出し、常に前向きに取り組む…そんな選手がいたでしょうか?
またそれは、自分にも言えることです。
「良くないゲームだ」とは思っていても、「でも勝てちゃってるんだよな…」と子ども達に徹底して意識付けをさせていなかったと猛省してます。
1試合目のKFC戦は見ていませんが、試合会場の武蔵台小に着いたときには、試合後のミーティング中でした。
これがまた非常に暗い!
負けたからなのでしょうが、2試合目にはこんな雰囲気はありませんでした。
もちろん、2試合目には勝ったからなのですが、内容はといえば…今まで通りの身体能力サッカーでした。
決して良い内容だとは言えません。
むしろ悪いゲームだったといえるでしょう。
その2試合目を終えてこそ、「勝てはしたけど、自分のプレーには全く納得できなかった…」と落ち込んでほしいものですが、そんな様子は全くありませんでした。
1試合目は、何でそんなに落ち込んでいたんだ?
2試合目に関しては、何を感じていたのか?
自分にはよく分かりません…
そして、残りの数ヶ月間をどのように過ごさせるべきか…考えがまとまりません。
たとえ大差で勝った試合でも、鬼軍曹のように「全くなってない!罰としてグランドを走ってこい!」とでも言った方が良いのか?
コーチとして、こちらの方針や考え方を子ども達に浸透させるためには、それを伝えなければいけないのですが、年がら年中、手取り足取り指導をしていて、子ども達は育つのでしょうか?
その辺のさじ加減が非常に難しいと感じます。
コーチや周りの大人に言われてから行動を起こすのではなく、自分の手で何かをしてほしいのです。
「こうしろ!」「はい、やります」「できました」…「じゃ、次はこれだ!」「はい、分かりました!」…これじゃロボットです。
何事も教えてもらうのではなく、自分でつかみ取ってほしいのです。
さて、少し話はそれますが、日本ではストライカー不足という事が何年も前から言われています。
しかし、日本の文化や教育環境の中では天才が生まれないと言われているのと同じように、ストライカーも生まれないのではと言われています。
確か、日本協会の田島幸三氏の発言だったと思いますが、自分もその通りだと思います。
学歴社会の歪みから生じる学校教育の現状…これは日本の文化とも言えるのかもしれませんが、教科教育の本来の目的とは全く異なった方向へ進んでいるような気がします。
所謂「つめこみ教育」を改善しようと「ゆとりの教育」に方向転換したものの、学歴偏重の社会情勢には全く手がつけられていないため、親や子どもは「これでは落ちこぼれになってしまう!」と慌てて塾通いに精を出す…
全く「ゆとり」とはほど遠い気がします…
教員を目指していた自分も、学生時代に色々と考えました。
自分は数学が専門だったので、数学(算数)に関して言えば、学校で数学(算数)を学ぶ目的は、ズバリ「数学的なものの考え方を身につける」事だと思います。
テストで高い点数を取ることでは決してないと思うのです。
ましてや良い学校に入ることなどは、全くもって関係ありません。
ものごとを筋道立てて論理的に考えるとか、色々な可能性を吟味しながら仮説を立ててその仮説が正しいかどうかを証明する…
公式を丸暗記するだとか、速く計算して正確に答えを出すなんて事は、できれば良い程度のことだと思います。
しかし、現状は「結果」のみに目を奪われてしまっています。
テストで高得点を取ること。
良い(といわれている)学校に進学すること。
その結果、全く中身のない計算機のような受験生が優秀とされてしまうのです。
教育というものは、人間の内面を研くものだと思うのですが…
何となく6年生の子ども達と(6年生に対する)自分の反省点とダブっているような気がします。
「結果」ばかりに目を向けていてはいけないのです。
数学的なものの考え方は、豊かな感性を持った人間になるために必要なことだと思います。
つばさの6年生には、レベルの差こそあるとは思いますが、インテリジェンス溢れるサッカー選手に、そして感性豊かな自立心のある人間になってもらいたいのです。
そのためには、試合内容や練習内容を振り返って、自分自身を評価してほしいのです。
勝った試合でも、納得のできないプレー内容というものはあります。
反対に、負けた試合でも満足のいく内容だったということもあります。
勝ったから、課題がぼやけてしまうことのない様にしたいものです。
しかし、「結果」がどうでも良いのではないのです。
「結果」にこだわることも必要です。
う~ん…最初と同じようなことを言っている気がする…
たちの悪い酔っぱらいみたいだ…
うまくまとまらないので…最後に、教育実習に行った時に非常にショックを受けたことを紹介します。
教員養成系の大学に通っていた自分は、3年時に1回(附属小学校)と4年時に2回(区立小学校と附属中学校)の教育実習に行きました。
最初の附属小学校(世田谷)に行った時、自分の常識を覆すほどの衝撃的な授業を見ることができました。
これが、後の自分の考え方の基礎になっていることは間違いありません。
それまで、自分の中では授業というものは、所謂「講義」形式で、先生があれこれ説明して、生徒に「分からせる」という認識でした。
しかし、そこで行われていた授業は、全く違ったものでした。
先生はほとんど喋りません。
授業は生徒達(6年生)が討論形式で進めていきます。
その日は「分数の割り算」だったのですが…
「分数で割るってできるのか?」
「そもそも『÷』ってどういう事?」
「少数の割り算で使った考え方を利用できるんじゃないか」…等々
分数の割り算は、割る方の分数の分子と分母を反対にしてかけ算にしてしまえば、正しい答えが出るんだよ!…などといった、世間一般の「算数」とは全く次元の異なった授業内容でした。
分数の割り算を計算することだとか、計算があっているかどうかなんてことは、全く問題になっていませんでした。
分数の割り算をせざるを得ないような状況だけが先生から与えられていて(専門用語(?)では『場の設定』)、それを子ども達の力で解決していこうとしているのです。
そして、なによりもその授業を子ども達主体で進めていたことにビックリしました。
誘導尋問のように子ども達を引っ張っていくのではなく、子ども達がそうしてしまうような状況を与え、そのような状況を創り出すことが大切なんだと感じました。
また、そうすることで、子ども達は持っている可能性を大人達の想像のつかないところまで引き出すのだとも思います。
でも、その時は「やっぱり国立の附属小学校の子どもは違うなぁ…」なんて呑気に考えていました。
しかし、自分がその子達を前にして授業をしてみると…
全く違うのです、何がって…子ども達が全く発言しないんです!
子ども達の持っている可能性は、その前の授業でイヤというほど目にしてきました。
それが、自分の授業では全く引き出せない…
指導者の重要性と自分の無力さを痛感した瞬間でした。
さて、6年生を筆頭につばさの子ども達…
まだまだ可能性を引き出せていないと思います。
実習から10年以上経っているのに、まだまだ自分の力不足を痛感します。
目指すは、「自分」をしっかり持った子ども…
なんだか訳の分からない「ひとり言」でしたが、そもそも「ひとり言」なんだからイイのかな…
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2003年12月7日日曜日
2003年11月6日木曜日
会長杯・5年生
今日は11月16日。
昨日は高校選手権の東京都決勝戦が行われ、テレビ中継もされていました。
夕方に帝京ー成立、深夜に國學院久我山ー国士舘というカードでした。
両方とも(深夜放送の方は後半の途中まででギブアップ)観たのですが、高校サッカーらしいというかなんというか…(一生懸命走り回って、全力を出すという意味では)感動を呼ぶ試合ではあると思うのですが、(サッカー関係者としては?)ちょっと淋しい気分になるような試合内容でした。
帝京、成立、国士舘の選手達は、おそらく(止める・蹴る・運ぶといった基礎の)技術的には高いものを持っていると思います。
しかし、ボールをつなぐという事のリスク(パスカットからのカウンター)を恐れすぎるためか、ほとんどがアバウトなタテパス(放り込み)に終始していたような気がします。
とはいっても、ボールをコントロールする時の身体の使い方や「くずし」のパスを出す時の「コース」「タイミング」「強さ」などを見ると、どうやら普段通りの闘い方のような気もします。
しかし、深夜枠に放送された國學院久我山のプレーはちょっと異彩を放っていました。
ディフェンスラインでボールを持っても、落ち着いて味方の選手にボールをつなぐ事を考え、「とりあえず」「陣地挽回のために」長いボールを前戦に蹴り込むという事はほとんど無かったと思います。
必死にボールを取りに来る相手FWの勢いを利用するように「スルッ」と軽くかわし、フリーな選手に丁寧にパスを出す。
ガムシャラにプレーをするという印象の高校サッカーにおいて、ちょっと面白い存在だと感じました。(負けちゃいましたけど…)
さて、なんで高校サッカーの話しを出したかというと、つばさの狙いもやはり「ボールを持った時の落ち着き」だからです。
ガムシャラに、一生懸命やるのがいけないのではありません。
どんなプレーにも全力を尽くさなければいけないと思います。
でも、サッカーは「瞬間の判断」「アドリブ」のスポーツだと思っています。
だからこそ、判断の材料となる周囲の状況を少しでも多く、正確に手に入れるために冷静になる必要があるのです。
相手の状況、味方の状況、グランドのどこにスペースがあるのか…ボールを持っている時も、持った瞬間も、ボールを持っていない時も、攻撃の時も守備の時も常に意識していなければいけません。
ということで、今日の5年生ですが…結果は5-0で勝ちました。
内容的にも圧倒していたと思います。
「落ち着いて」「冷静に」プレーしようという意識も見られましたし、実際そのようなプレーも随所に見られました。
しかし、「満足すると成長は止まる」のです。
まだまだです!
6ブロックの大会では、ほとんど自分たちのサッカーが出来なかったと聞いています。
常に高いレベルを目指して練習に励みましょう!
では、ちょっと具体的な話しをしましょう。
「判断」「駆け引き」を伴ったサッカーをするためには、「見る」という事が必要不可欠です。
それも、ボールもしくはボール周辺だけではなく、グランド全体を「見る」という事が必要です。
サッカーファンとサッカー選手との違いはここだとも思っています。
スタジアムで試合を見る時にも、一般のサッカーファンはボールの周辺ばかりに目を向けますが、サッカー選手(経験者)は次に展開されそうな場所に先に目をやったり、ディフェンスラインの状況などに目を向け、どうやって攻撃しようかなどと考えるものです。
試合を観戦していると、ワールドクラスの選手に対しても「お前、違うだろ!」などと偉そうに毒づいている人も多いと思います。
試合を「観戦」していると、「良い判断」が出来てしまうのです。
スタンドからゲームを見ている時に、「良い判断」が出来るのは高い位置でグランドをくまなく見る事が出来るからで、しかも相手チームからのプレッシャーを受ける事もないからです。
ゲーム中にプレーをしている時でも、これに近い状態を作りたいものです。
ゲーム中にプレーをしている選手が、高い位置でグランドを見る事はできませんが、相手のプレッシャーをなるべく少なくする事はできます。
一つは、いままでもよく言っていたように「なるべく早くボールをコントロール(自分の支配下におく)する」「相手から遠いところにボールをおく」というようなボールコントロール技術です。
そして、もうひとつは頭の中の技術…「ポジショニング」です。
今日のゲームで気になったのは、サイドの選手のボールの受け方と、スイーパー・ボランチの選手のボールの受け方でした。
ボールを持ってから「上手く」プレーする事が要求されるのですが、そのためにはボールを持っていない時に「プレー」していなければいけません。
簡単に言うと…
●なるべく敵から離れてフリーになり、ボールを受けた時、時間的・精神的に楽になるようにする。
●グランド全体が見れるような「ポジショニング」(位置取り)と身体の向きを意識する。
この2つです。
サイドの選手であれば…
いや、ちょっと待って下さい。
文才のない自分には、文章だけで伝えるのには限界があります…
後日、図解を追加するという事で、今日はここまで…
つづく…
昨日は高校選手権の東京都決勝戦が行われ、テレビ中継もされていました。
夕方に帝京ー成立、深夜に國學院久我山ー国士舘というカードでした。
両方とも(深夜放送の方は後半の途中まででギブアップ)観たのですが、高校サッカーらしいというかなんというか…(一生懸命走り回って、全力を出すという意味では)感動を呼ぶ試合ではあると思うのですが、(サッカー関係者としては?)ちょっと淋しい気分になるような試合内容でした。
帝京、成立、国士舘の選手達は、おそらく(止める・蹴る・運ぶといった基礎の)技術的には高いものを持っていると思います。
しかし、ボールをつなぐという事のリスク(パスカットからのカウンター)を恐れすぎるためか、ほとんどがアバウトなタテパス(放り込み)に終始していたような気がします。
とはいっても、ボールをコントロールする時の身体の使い方や「くずし」のパスを出す時の「コース」「タイミング」「強さ」などを見ると、どうやら普段通りの闘い方のような気もします。
しかし、深夜枠に放送された國學院久我山のプレーはちょっと異彩を放っていました。
ディフェンスラインでボールを持っても、落ち着いて味方の選手にボールをつなぐ事を考え、「とりあえず」「陣地挽回のために」長いボールを前戦に蹴り込むという事はほとんど無かったと思います。
必死にボールを取りに来る相手FWの勢いを利用するように「スルッ」と軽くかわし、フリーな選手に丁寧にパスを出す。
ガムシャラにプレーをするという印象の高校サッカーにおいて、ちょっと面白い存在だと感じました。(負けちゃいましたけど…)
さて、なんで高校サッカーの話しを出したかというと、つばさの狙いもやはり「ボールを持った時の落ち着き」だからです。
ガムシャラに、一生懸命やるのがいけないのではありません。
どんなプレーにも全力を尽くさなければいけないと思います。
でも、サッカーは「瞬間の判断」「アドリブ」のスポーツだと思っています。
だからこそ、判断の材料となる周囲の状況を少しでも多く、正確に手に入れるために冷静になる必要があるのです。
相手の状況、味方の状況、グランドのどこにスペースがあるのか…ボールを持っている時も、持った瞬間も、ボールを持っていない時も、攻撃の時も守備の時も常に意識していなければいけません。
ということで、今日の5年生ですが…結果は5-0で勝ちました。
内容的にも圧倒していたと思います。
「落ち着いて」「冷静に」プレーしようという意識も見られましたし、実際そのようなプレーも随所に見られました。
しかし、「満足すると成長は止まる」のです。
まだまだです!
6ブロックの大会では、ほとんど自分たちのサッカーが出来なかったと聞いています。
常に高いレベルを目指して練習に励みましょう!
では、ちょっと具体的な話しをしましょう。
「判断」「駆け引き」を伴ったサッカーをするためには、「見る」という事が必要不可欠です。
それも、ボールもしくはボール周辺だけではなく、グランド全体を「見る」という事が必要です。
サッカーファンとサッカー選手との違いはここだとも思っています。
スタジアムで試合を見る時にも、一般のサッカーファンはボールの周辺ばかりに目を向けますが、サッカー選手(経験者)は次に展開されそうな場所に先に目をやったり、ディフェンスラインの状況などに目を向け、どうやって攻撃しようかなどと考えるものです。
試合を観戦していると、ワールドクラスの選手に対しても「お前、違うだろ!」などと偉そうに毒づいている人も多いと思います。
試合を「観戦」していると、「良い判断」が出来てしまうのです。
スタンドからゲームを見ている時に、「良い判断」が出来るのは高い位置でグランドをくまなく見る事が出来るからで、しかも相手チームからのプレッシャーを受ける事もないからです。
ゲーム中にプレーをしている時でも、これに近い状態を作りたいものです。
ゲーム中にプレーをしている選手が、高い位置でグランドを見る事はできませんが、相手のプレッシャーをなるべく少なくする事はできます。
一つは、いままでもよく言っていたように「なるべく早くボールをコントロール(自分の支配下におく)する」「相手から遠いところにボールをおく」というようなボールコントロール技術です。
そして、もうひとつは頭の中の技術…「ポジショニング」です。
今日のゲームで気になったのは、サイドの選手のボールの受け方と、スイーパー・ボランチの選手のボールの受け方でした。
ボールを持ってから「上手く」プレーする事が要求されるのですが、そのためにはボールを持っていない時に「プレー」していなければいけません。
簡単に言うと…
●なるべく敵から離れてフリーになり、ボールを受けた時、時間的・精神的に楽になるようにする。
●グランド全体が見れるような「ポジショニング」(位置取り)と身体の向きを意識する。
この2つです。
サイドの選手であれば…
いや、ちょっと待って下さい。
文才のない自分には、文章だけで伝えるのには限界があります…
後日、図解を追加するという事で、今日はここまで…
つづく…
2003年11月3日月曜日
会長杯・2年生
秋の大会から2チームエントリーとなった2年生。
試合をする時間が増える事を狙ったのですが…結局、試合時間だけを見ると春の大会とあまり変わらないという事になってしまいました。
2日にBチーム、3日にAチームの試合が入っていたので、まとめて書こうと思います。
結果を先に言うと、Bチームは明愛に3対5で負け。
Aチームは、鷺宮Aに2対1で勝った後、わかみやに1対7で負けました。
Aチーム、Bチームともに試合前の指示やハーフタイムの指示は同じでした。
「何がなんでもボールに食らいついていく事!」
たとえ、味方同士がぶつかるような事になっても、「自分がボールを奪うんだ!」「オレがドリブルするんだ!」という気持ちで「闘う」事が大切だと言いました。
もちろん、ドリブルはスペース(『空いている方へ』と子ども達には言っている)を上手く使うだとか、ゴールキックはペナルティエリアのギリギリでボールを拾うというような事も言いましたが、闘う姿勢を見せるという事を今大会のテーマと考えました。
その闘う姿勢ですが、100点満点とはいかないまでも、まぁ及第点を与える事の出来る内容だったと思います。
Bチームは、2点を先制された後、2ゴールをあげ同点に持ち込んだ時間もありました。
その後、さらに2点を奪われるのですが、そこからまた1点を取り返しました。
終了間際に更に1ゴールを奪われ力尽きましたが、最後までよく闘ったと思います。
Aチームも、1試合目の鷺宮戦では先制点をゆるしてしまいましたが、1点を返した後もねばり強いゲームをして、ロスタイムに1点を奪い見事に逆転で勝利を収めました。
2試合目は、点差こそ1対7と開いてしまいましたが、子ども達は最後まで必死にボールを追いかけていました。
「パス」という戦い方を身に付けていない2年生にとって、攻撃時にドリブルだけで相手を「くずす」という事は非常に難しいのです。
1人のドリブルだけでシュートまで持ち込むのは不可能に近く、そんな事が出来るなら…天才といわせてもらいましょう。
「大きく蹴る」ことを良しとしない、つばさの戦い方では尚更です。
では、どうすればよいのでしょうか?
ドリブルで持ち込む、取られたらそこですぐに(ドリブルしていた選手とは別の選手でも良い)取り返す、そしてまたドリブルで持ち込む…
この繰り返ししかありません。
自分たちの攻撃が途切れた時は、フッと集中が切れるものですが、そこですぐにボールを奪う態勢をとれるかどうかが(低学年の試合に限らず)重要だと思います。
だからこそ、「最後までボールに食らいつく」ことが必要であり、「闘う姿勢を見せる」ことが大切なのです。
奪われたボールをすぐに奪い返すという事に関していえば、もうちょっとだったと思います。
しかし、最後までゲームを投げずに頑張った姿勢は見事でした。
ということで、100点満点ではありませんでしたが、及第点をあげる事のできるゲームだったと思います。
技術的な部分に目を向けると、明愛やわかみやの上手な選手達とつばさの選手達の大きな違いは、ボールを持った時の姿勢でしょうか。
つばさの子達は、「必死」にドリブルをするという感じで、ボールをコントロールし切れていないような印象を受けます。
対して、明愛やわかみやのドリブルが上手な選手達は、軸がぶれないというような感じのドリブルが出来ます。
速さやパワーに頼らずに、相手に取られないようなドリブルをイメージ出来るようになれば良いのですが…
ここに書いた、精神的なテーマや技術的な課題は、低学年に限った話しではありません。
高学年になっても、また中学生になっても、高校生になっても必要な事だと思います。
というよりも、基本中の基本のような気がします。
「負けた」という結果に目を向ける事も大切な事ですが、このゲームを経験する事によって得る事の出来た「テーマ」「課題」に取り組み、今後に活かすという事も非常に大切な事だと思います。
目の前の勝利、1点にこだわる事で、バランスの崩れたドリブルをしてしまうのではなく、良いフォームでボールをコントロールしようではありませんか!
相手に取られても、すぐに取り返せば良いだけの事です。
目指すは、スピードだけで突破するのではなく、相手をヒラリとかわすドリブラー!
もちろん、相手ボールに対しては、「速く」「きびしく」「強く」奪いにいく!
そんな選手になって欲しいなぁ…(あ、コーチがそう育てるんだった!)
試合をする時間が増える事を狙ったのですが…結局、試合時間だけを見ると春の大会とあまり変わらないという事になってしまいました。
2日にBチーム、3日にAチームの試合が入っていたので、まとめて書こうと思います。
結果を先に言うと、Bチームは明愛に3対5で負け。
Aチームは、鷺宮Aに2対1で勝った後、わかみやに1対7で負けました。
Aチーム、Bチームともに試合前の指示やハーフタイムの指示は同じでした。
「何がなんでもボールに食らいついていく事!」
たとえ、味方同士がぶつかるような事になっても、「自分がボールを奪うんだ!」「オレがドリブルするんだ!」という気持ちで「闘う」事が大切だと言いました。
もちろん、ドリブルはスペース(『空いている方へ』と子ども達には言っている)を上手く使うだとか、ゴールキックはペナルティエリアのギリギリでボールを拾うというような事も言いましたが、闘う姿勢を見せるという事を今大会のテーマと考えました。
その闘う姿勢ですが、100点満点とはいかないまでも、まぁ及第点を与える事の出来る内容だったと思います。
Bチームは、2点を先制された後、2ゴールをあげ同点に持ち込んだ時間もありました。
その後、さらに2点を奪われるのですが、そこからまた1点を取り返しました。
終了間際に更に1ゴールを奪われ力尽きましたが、最後までよく闘ったと思います。
Aチームも、1試合目の鷺宮戦では先制点をゆるしてしまいましたが、1点を返した後もねばり強いゲームをして、ロスタイムに1点を奪い見事に逆転で勝利を収めました。
2試合目は、点差こそ1対7と開いてしまいましたが、子ども達は最後まで必死にボールを追いかけていました。
「パス」という戦い方を身に付けていない2年生にとって、攻撃時にドリブルだけで相手を「くずす」という事は非常に難しいのです。
1人のドリブルだけでシュートまで持ち込むのは不可能に近く、そんな事が出来るなら…天才といわせてもらいましょう。
「大きく蹴る」ことを良しとしない、つばさの戦い方では尚更です。
では、どうすればよいのでしょうか?
ドリブルで持ち込む、取られたらそこですぐに(ドリブルしていた選手とは別の選手でも良い)取り返す、そしてまたドリブルで持ち込む…
この繰り返ししかありません。
自分たちの攻撃が途切れた時は、フッと集中が切れるものですが、そこですぐにボールを奪う態勢をとれるかどうかが(低学年の試合に限らず)重要だと思います。
だからこそ、「最後までボールに食らいつく」ことが必要であり、「闘う姿勢を見せる」ことが大切なのです。
奪われたボールをすぐに奪い返すという事に関していえば、もうちょっとだったと思います。
しかし、最後までゲームを投げずに頑張った姿勢は見事でした。
ということで、100点満点ではありませんでしたが、及第点をあげる事のできるゲームだったと思います。
技術的な部分に目を向けると、明愛やわかみやの上手な選手達とつばさの選手達の大きな違いは、ボールを持った時の姿勢でしょうか。
つばさの子達は、「必死」にドリブルをするという感じで、ボールをコントロールし切れていないような印象を受けます。
対して、明愛やわかみやのドリブルが上手な選手達は、軸がぶれないというような感じのドリブルが出来ます。
速さやパワーに頼らずに、相手に取られないようなドリブルをイメージ出来るようになれば良いのですが…
ここに書いた、精神的なテーマや技術的な課題は、低学年に限った話しではありません。
高学年になっても、また中学生になっても、高校生になっても必要な事だと思います。
というよりも、基本中の基本のような気がします。
「負けた」という結果に目を向ける事も大切な事ですが、このゲームを経験する事によって得る事の出来た「テーマ」「課題」に取り組み、今後に活かすという事も非常に大切な事だと思います。
目の前の勝利、1点にこだわる事で、バランスの崩れたドリブルをしてしまうのではなく、良いフォームでボールをコントロールしようではありませんか!
相手に取られても、すぐに取り返せば良いだけの事です。
目指すは、スピードだけで突破するのではなく、相手をヒラリとかわすドリブラー!
もちろん、相手ボールに対しては、「速く」「きびしく」「強く」奪いにいく!
そんな選手になって欲しいなぁ…(あ、コーチがそう育てるんだった!)
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