小学生最後の公式戦となる、CTN杯。
各人が、それぞれに思いを持って臨んだ大会だと思います。
現6年生は、中野区内の大会では、ほとんど優勝をさらっていっているという、つばさらしからぬ(?)学年です。
当然、子ども達も、親も、他学年の親も、そしてコーチ達も優勝という結果で有終の美を飾るつもりだった事だと思います。
しかし、結果は3位。
準決勝で、親しきライバルチーム「しんやま」に逆転負けを喫し、決勝に駒を進める事も出来ませんでした。
サッカーというスポーツは、何が起こるか分かりません。
もっとも確実性の低い「足」を使うスポーツですから、ミスは日常茶飯事です。
ワールドカップという最高峰の舞台でも、自分のゴールにボールを入れてしまう「オウンゴール」が飛び出す事もあります。
100回対戦しても、100回とも勝てるという相手は、滅多に存在しないでしょう。
するとしたら、そこにはかなりの実力差があるという事になるでしょう。
日本代表もアトランタ五輪で、ブラジル代表を破った事があります。
その勝利は、おそらく誰も予想しなかった事でしょう。
「マイアミの奇跡」などと大々的に報道されました。
そう、「奇跡」というほどの勝利だったのです。
もう1度対戦したら、おそらく勝てなかったでしょう。
サッカーでは、そんな事があるのです。
また、アメリカW杯予選では、ロスタイムにゴールを割られて、初のW杯出場を逃しました。
有名な「ドーハの悲劇」です。
まさに、残り数十秒…その時の代表は引き分けでゲームを終え、W杯出場を逃し、今回の6年生は、敗戦で優勝を逃しました。
その「ドーハの悲劇」の時、ラモス瑠偉は試合終了のホイッスルを聞きながら、こう思ったといいます。
「神様…あなたはなんてヒドイ仕打ちをするのですか…いや、神様なんていないのかもしれない…そうじゃなければ、こんな不幸な事が起こるわけはない…」と。
日本に戻ってきても、あまりのショックになかなか立ち直れずにいたとの事です。
しかし、時間が経つにつれて、考えが変わってきたそうです。
「神様は、まだオレ達にはワールドカップに行くには早すぎると言っているんだ。まだまだ、力不足だと。今回の事は、神様が与えてくれた最大の試練なんだ…」と。
そして、その試練を乗り越えて、次のW杯の切符を手に入れるんだという強い思いで今まで以上にトレーニングに励んだそうです。
年齢的にいって、ラモスが次のW杯(フランス大会)に出るのは難しいという事は、本人が一番よく分かっていたと思います。
実際、代表監督をしていたオフトと意見が衝突した時に「オレにとっては、今回が最後のチャンスなんだ!このチャンスを逃すわけにはいかない!」と言っていました。
それでも、後ろを向くことなく、少しでも可能性があるならばと、ひたむきに前進し続けるラモスのメンタリティの強さは、素晴らしいものだと思います。
前回の敗戦の時にも書きましたが、「負け」をただの「負けた記憶」にしてはいけないと思うのです。
負けた試合からも、勝った試合からも学ぶ事はたくさんあります。
むしろ、負けた試合からは、精神的に大きく成長するきっかけを得る事が出来る事も多いのではないでしょうか。
神様の存在を信じるかどうかは別にして、与えられた「試練」をどう乗り越えるかはみんな自身なのだと思います。
6年生のみんなには、チームのプレー、自分のプレーを振り返り、今後の成長の糧を見つけ出し、活かして欲しいと思います。
さて、試合内容を振り返ってみましょう。
ここまで書いた事を見ると、勝てる試合を落としたような感じですが、内容は良くありませんでした。
負けたのも仕方がないかな、というような試合でした。
良くなかった点は…
今まで、この「ひとり言」で書いてきた事が全てです。
トラップが雑、ボールの置き所が悪い、スピードやパワーに頼りすぎる、スペースを上手く使えていない…
4年生の頃から、ずっと言ってきた課題が未だに解決できていないという事です。
課題が克服できていないのに、勝ち続けてきた…
身体能力の高さで誤魔化せてしまう事があるのもサッカーです。
1試合目のJFC戦は、まさにそんな試合でした。
パスはずれる、トラップも浮かす、ボールの置き所も悪く、相手にボールを触られる事ばかり…それでも大差で勝てたのは、局面でのスピードやパワーの違いだけ(だけというのは言い過ぎかもしれませんが)だったと思います。
立ち上がりに大量得点を奪う事が出来、相手の戦意を喪失させる事が出来たのが幸いだったと思います。
対して、しんやまは頑張るチームでした。
2点取られても、必死にボールに食らいついてきました。
しかし、個々の選手の技術レベルを見るとそんなに変わりはしないと思います。
いや、つばさの選手達の方が上かもしれません。
ところが、ボールに必死に食らいついてくる相手に対して、雑なプレーをしていると、決定的な場面を創り出す事は出来ないのです。
こんな事は、前にも書いた事だし、子ども達にも伝えてきたつもりです。
そう、つもりだったのでしょう…
これは、我々コーチ陣も大いに反省すべき点だと思います。
振り返ってみれば、6年生、上手くなっているのか?…と。
半ば押しつけるようにして、徹底させる事は簡単です。
しかし、そうではない、というのが自分の基本的なスタンスです。
自分で課題を克服するために、色々な事を意識しながらプレー(練習・試合)するようにならなければ、本当の意味での成長はないと思います。
コーチや大人の言われた通りにやって結果を出して、「ほら、出来ただろう!」というのは、カンニングに等しいとも思います。
でも、なかなか思い通りにはいかないものです…
悔しい思いをするのも経験だし、今後に活きるだろうとは思いつつも、何年も付き合ってきた子ども達には、良い思いをさせてあげたい気持ちもあります。
内容どうのこうのよりも、良い結果を残させて、良い思い出を作ってあげた方が単純に良いのか…
その方が将来につながったりもするのかな?
なんだか、分からなくなってきました…
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2004年2月22日日曜日
2003年12月21日日曜日
会長杯・6年生・決勝T
今回も、桃二で低学年の練習を終えてからの移動となりました。
自転車を漕いで、武蔵台小学校に到着したところ、ちょうど6年生の父兄が出てくるところでした。
「おつかれさまです。4─1でした!」(お母さん)
「あ、4─1でしたか!」(自分)
(4─1で…勝ったのかな?)(心の声)
「決勝は、江古田です」(お父さん)
「あ、そうですか。ありがとうございます」(自分)
(決勝って事は、勝ったのか…ホッ…)(心の声)
6年生が強い学年だという事は分かっています。
でも、サッカーは何があるか分かりません。
会場の武蔵台小学校は、非常に狭いグランドです。
交通事故のようなゴールが生まれても、全く不思議ではないのです。
それに加えて、2週間前に苦杯を経験したばかりの6年生ですし…
ケガ人や病人が多く、メンバーをそろえる事さえままならない状況でもあったし…
今日も、5年生を5人呼んでの決勝トーナメントになりました。
1試合目は全く見る事ができなかったので、どんな様子だったのかは全く分かりませんが、狭いグランドでボールを放り込んでくる相手の攻撃に対して、ちょっと苦しんでいるような様子が樋口コーチの話しから分かりました。
さて、決勝戦。
対戦相手は江古田サンダーズ。
予選リーグでは6─0で勝っている相手ではありますが、その時は四谷商業という広いグランドでした。
つばさの目指す「丁寧につなぐ」サッカーにとって、狭いグランドというのは天敵なのです。
同じ人数でも、狭いグランドに詰め込まれると、必然的に密度が高くなります。
という事は、ボールに対するプレッシャーが早くなるのです。
もちろん、その中でもしっかりとボールをコントロールして、フリースペースへボールを動かせばよいのですが、広いグランドでのサッカーと比較するとプレーの難易度は一気に高くなります。
立ち上がりは、全くボールが落ち着きませんでした。
蹴り合いのようなサッカーになってしまっていました。
もちろん、子ども達の意識の中には、蹴り合いをするつもりはないと思いますが、しっかりとマイボールにできない、取ったボールをすぐに相手に奪われる、クリアされるという展開で、ボールが終始落ち着きませんでした。
そんな中で、相手に先制点を奪われました。
早く点を取り返さなければという気持ちが前に出すぎ、強引な勝負を仕掛ける場面が目立ち始めました。
点を取られても、自分たちのサッカーを信じて攻め急がずにドンと構えていてもらいたいものですが、小学生にそこまで望むのは酷な話しでしょう…
その後、1点を返して落ち着いたのか、最近の6年生の試合にしては珍しく(?)ゆったりとしたボール回しを見せるようになりました。
欲を言えばキリがありませんが、今までの試合の中ではボールを失う場面が少なかったように思いますし、ボールを取られるにしても、ボールの失い方はそんなに悪くなかったように思います。
特に後半は、しっかりとチームでボールをキープし、「くずし」の前段階を良い状態にすることが出来ていたような気がします。
さて、力勝負で相手をねじ伏せる感の強かった6年生のゲームですが、今日の出来はナカナカのものだったのではないでしょうか?
もちろん、もっともっと良くなると思います。
そのためには、どうすればよいのか…
前の「ひとり言」にも書きましたが、どうすれば良くなるのかは、自分たちで考えるべきだと思いますし、そうしなければいけないと思います。
コーチから課題を示されて、それを消化するだけの作業は非常に楽な事なのですが、そこからは選手(そして一人の人間として)の「強さ」となる自主性は生まれてきません。
上手くなるのは、強くなるのは、成長するのは自分自身でしかないのです。
誰かに導かれて進むのは簡単です。
しかし、自分の力で進む時こそ、しっかりとした目標を持つ事も出来るでしょうし、本当にたくましくなれると思います。
でも、コーチは導くのが役目だと思います。
しかし…あえて多くを語りません。
課題のほとんどは、これまでの数年間で既に伝えてあります。
そして、この前の水曜練習でやった事をよく考えて下さい。
もう一度言います。
課題を感じるのも、見つけるのも、克服するのも自分でやるしかないのです。
また、自分で克服したものだけが本当の力になるのです。
人の助けを借りて克服したものは、「結果」として克服したように見えますが、「結果」を与えてもらったにすぎません。
本当の強さを身につけるために…
「自分」を「自分の力」をトコトン信じましょう。
やれば出来る!
しかし、やらなければ出来ない…
自転車を漕いで、武蔵台小学校に到着したところ、ちょうど6年生の父兄が出てくるところでした。
「おつかれさまです。4─1でした!」(お母さん)
「あ、4─1でしたか!」(自分)
(4─1で…勝ったのかな?)(心の声)
「決勝は、江古田です」(お父さん)
「あ、そうですか。ありがとうございます」(自分)
(決勝って事は、勝ったのか…ホッ…)(心の声)
6年生が強い学年だという事は分かっています。
でも、サッカーは何があるか分かりません。
会場の武蔵台小学校は、非常に狭いグランドです。
交通事故のようなゴールが生まれても、全く不思議ではないのです。
それに加えて、2週間前に苦杯を経験したばかりの6年生ですし…
ケガ人や病人が多く、メンバーをそろえる事さえままならない状況でもあったし…
今日も、5年生を5人呼んでの決勝トーナメントになりました。
1試合目は全く見る事ができなかったので、どんな様子だったのかは全く分かりませんが、狭いグランドでボールを放り込んでくる相手の攻撃に対して、ちょっと苦しんでいるような様子が樋口コーチの話しから分かりました。
さて、決勝戦。
対戦相手は江古田サンダーズ。
予選リーグでは6─0で勝っている相手ではありますが、その時は四谷商業という広いグランドでした。
つばさの目指す「丁寧につなぐ」サッカーにとって、狭いグランドというのは天敵なのです。
同じ人数でも、狭いグランドに詰め込まれると、必然的に密度が高くなります。
という事は、ボールに対するプレッシャーが早くなるのです。
もちろん、その中でもしっかりとボールをコントロールして、フリースペースへボールを動かせばよいのですが、広いグランドでのサッカーと比較するとプレーの難易度は一気に高くなります。
立ち上がりは、全くボールが落ち着きませんでした。
蹴り合いのようなサッカーになってしまっていました。
もちろん、子ども達の意識の中には、蹴り合いをするつもりはないと思いますが、しっかりとマイボールにできない、取ったボールをすぐに相手に奪われる、クリアされるという展開で、ボールが終始落ち着きませんでした。
そんな中で、相手に先制点を奪われました。
早く点を取り返さなければという気持ちが前に出すぎ、強引な勝負を仕掛ける場面が目立ち始めました。
点を取られても、自分たちのサッカーを信じて攻め急がずにドンと構えていてもらいたいものですが、小学生にそこまで望むのは酷な話しでしょう…
その後、1点を返して落ち着いたのか、最近の6年生の試合にしては珍しく(?)ゆったりとしたボール回しを見せるようになりました。
欲を言えばキリがありませんが、今までの試合の中ではボールを失う場面が少なかったように思いますし、ボールを取られるにしても、ボールの失い方はそんなに悪くなかったように思います。
特に後半は、しっかりとチームでボールをキープし、「くずし」の前段階を良い状態にすることが出来ていたような気がします。
さて、力勝負で相手をねじ伏せる感の強かった6年生のゲームですが、今日の出来はナカナカのものだったのではないでしょうか?
もちろん、もっともっと良くなると思います。
そのためには、どうすればよいのか…
前の「ひとり言」にも書きましたが、どうすれば良くなるのかは、自分たちで考えるべきだと思いますし、そうしなければいけないと思います。
コーチから課題を示されて、それを消化するだけの作業は非常に楽な事なのですが、そこからは選手(そして一人の人間として)の「強さ」となる自主性は生まれてきません。
上手くなるのは、強くなるのは、成長するのは自分自身でしかないのです。
誰かに導かれて進むのは簡単です。
しかし、自分の力で進む時こそ、しっかりとした目標を持つ事も出来るでしょうし、本当にたくましくなれると思います。
でも、コーチは導くのが役目だと思います。
しかし…あえて多くを語りません。
課題のほとんどは、これまでの数年間で既に伝えてあります。
そして、この前の水曜練習でやった事をよく考えて下さい。
もう一度言います。
課題を感じるのも、見つけるのも、克服するのも自分でやるしかないのです。
また、自分で克服したものだけが本当の力になるのです。
人の助けを借りて克服したものは、「結果」として克服したように見えますが、「結果」を与えてもらったにすぎません。
本当の強さを身につけるために…
「自分」を「自分の力」をトコトン信じましょう。
やれば出来る!
しかし、やらなければ出来ない…
2003年12月14日日曜日
会長杯・5年生
さて、6年生のコメント同様に、こちらの方も遅くなってしまいました。
その間、ワールドユースや東アジア選手権などでの日本人(というか日本代表)の闘い方を見て、色々と感じるところがありました。
そうやって、思いを巡らせていると、「自分はちょっと変わっているのかな?」と感じることがしばしばあります。
そういう思いは前からあったのですが、でもそれがつばさのカラーになっているんだからという自負のようなものもありました。
でも、本当にこれで良いのかな?
なんて事も最近思っちゃったりします…
どうする事が子ども達にとって一番良いのだろう…
悩みは尽きません…
まず、試合ですが、いつも(?)のように低学年の練習を終えてから、試合会場に向かいました。
1試合目には間に合わないかとも思ったのですが、多田小に着いた時にはまだゲーム中でした。
コーチ達のいる(狭い)ベンチにムリヤリ腰を下ろし、「今、何対何?」とスコアを聞いたら「0─0です!良くないです!」との事…
そして、その直後、WSCの右サイドの選手へパスが渡りました。
この選手がなぜだかドフリー!
しかも、ゴールへ向かってナイスコントロール!
そのまま落ち着いてシュート!
あっさりとゴールを奪われてしまったのです。
その時、会場にいたダレよりも焦ったのは、選手達ではなく自分だったと思います。
なにしろ、ベンチに座ったとたんに失点ですから…
「やばい、オレ、負けコーチ?疫病神?」とイヤな予感がしたものでした。
しかし、5年生はやってくれました。
鈴木コーチも掲示板に書いていますが、今までの5年生ならば、そのままズルズルと負けてしまう可能性が大でしたが、何とか同点弾を押し込みました。
その後、さらに1点を献上し、突き放されかけたのですが、ロスタイムでしぶとく同点に追いつき、PK合戦を制したのでした。
その後の決勝戦は、4─1とある程度安心してみていられる展開で、春に続いて中野区を制することができました。
冗談抜きで負けを覚悟した準決勝をひっくり返して(正確に言うと『ひっくり返す』まではいかず、追いついた)優勝をもぎ取った5年生は、勝負強くなったと思います。
優勝という結果と、勝負強さを見せた試合展開には、素直に拍手を送りたいと思います。
しかし…
しかしです!
最初に、自分がベンチに座った時のコーチの言葉「良くないです!」が表すように、試合内容は本当に良くありませんでした。
ここまでの5年生は、どちらかというとキレイなサッカーをする学年でした。
春の大会では、ちょっとした質の違いを見せつけるような内容で優勝しました。
でも、今回の準決勝以降は、何とか勝てたという感じのサッカーでした。
閉会式の時に、少年連盟の会長が「嬉しかった人は?」「悔しかった人は?」と聞いていました。
つばさの選手達は当然「嬉しかった人」に全員手を挙げました。
他のチームの選手達は、全員「悔しかった人」に手を挙げました。
ここで、会長がちょっと変化球を投げました。(自分は「ナイス、会長!」と思いました)
「では、優勝したつばさの選手の中で悔しかった人はいるかい?」
……誰も手を挙げませんでした。
この場面だけを見ると、優勝して万々歳!嬉しさで一杯です!
という感じに見えてしまいます。
訊き方を変えれば、違ったのかもしれませんが、優勝という結果のみに酔ってはいけないと思うのです。
6年生のところにも書きましたし、前回の春の優勝のところにも書いたと思いますが、満足してしまっては成長が止まってしまうのです。
優勝の余韻に浸る期間が終わった時で構いません、改めて自分のプレーを振り返り、今後の成長に生かそうとしている5年生がいることを期待します。
さて、話は変わりますが、ちょうどこの時期に前後してワールドユースと東アジア選手権が行われていました。(決勝戦当日はトヨタカップも…)
ワールドユースは、ベスト8という成績を残すも、ブラジルに惨敗…
また、それまでのゲーム内容も決して良いものではありませんでした。
ブラジルに負けた次の日のスポーツ新聞を見ると、「ブラジルの選手はお互いにパスを要求するし、試合中でも言い争っていた。自分たちは甘ちゃんだった」とか「プレーの形がない相手にどう対処していいか…。パニックだった」という選手のコメントが載っていました。
いくらユース年代といっても、ほとんどがプロ契約をしている選手であって、しかも日の丸をつけている選手がこのような状態とは…
ワールドカップバレーの時にも思ったのですが、どのスポーツの世界を見ても日本人選手のメンタリティには、自主性というものが感じられないのですが、それは自分だけでしょうか?
日本では、所謂「厳しい」「レベルの高い」という環境であればあるほどコーチが厳しく、また、そのようなコーチが歓迎されているような風潮もあると思います。
でも、そこから生まれるものは、コーチにやらされている選手なのではないかとも思うのです。
コーチに怒鳴られながらプレーする…
コーチに怒鳴られないようなプレーをする…
このような環境から、本当に強い選手は生まれないのではないかとも思うのです。
本当に厳しい環境とは、手を抜けば試合には全く使われなくなったり、簡単にクビを切られてしまったりという事だと思うのです。
日本の場合は、手を抜けばコーチが怒鳴ります。
でも、怒鳴られればすんでしまうのです。
「すみませんでした」と謝ってしまえば、また試合に使ってもらえます。
女子選手であれば、涙を流したりすると「泣き虫○○」なんてニックネームをつけられつつも、頑張っているなぁと美化されてしまいます。
私は、選手に対して鬼のように接するコーチは、実は非常に優しいコーチだと思うのです。
むしろ、優しすぎることで、選手の方も優しくなってしまっているような気もします。
本当に厳しいコーチは、手を抜いている選手を横目でチラッと見て、次のゲームから何も言わずに活きのイイ若手を使うコーチだと思います。
自分の勝手な想像ですが、このような競争意識を持たせる環境は外国に多いと思うのですが…
サッカーの世界に関していえば、南米の選手は皆、サッカーで成り上がろうとしています。
当然、(プロになるまで)手を抜くなんて事はないと思います。
新入りの選手に活躍されると困るので、絶対にパスを出さないとさえいいます。
選手全員がハングリー精神の固まりのようなものだと思います。
でも、ヨーロッパの経済的に安定している国でもメンタリティの強い選手はたくさんいます。
やはり、サッカーをやらされているのではなく、自分でやっているからでしょう。
サッカーが好きで、サッカーが上手くなりたいという純粋な動機だと思います。
そして、その動機が本当にしっかりしているのがトップの選手達だと思うのです。
さて、日本の選手達…
サッカーをやるというしっかりとした動機を持っている選手がどれだけいるか不安になってしまいます。
たしかに、日本は豊かな国です。
誘惑も多いです。
サッカーで成り上がらなくても、生活に困ることはないでしょう。
でも、だからこそ、「オレにはサッカーしかない!」という意識を持った選手が必要なのです。
ちょっと活躍するとマスコミで取り上げられ、アイドル扱いされてしまう日本の風潮にも問題はあると思いますが、それでもサッカーに対する気持ちだけは強く持ち続けなければいけないのです。
若い頃(中学、高校)の中田英寿は、非常に練習熱心で自分のプレー一つひとつに高いこだわりを見せていたとの話を聞いたことがあります。
当時、彼の年代には財前という天才プレーヤーがいて、中田英寿は財前の出したパスに走っていた「コマ」だったのですが…
その強いメンタリティが、今の彼を造ったとも言えるでしょう。
今は、「オイ!かかってこい!」とか「おまえ、金もらってんだろ!」なんて名ゼリフを審判に対して吐いてしまう、セレッソの大久保の行く末が気がかりでなりません…
さて、ここで話を戻しましょう。
もし、南米の子ども達だったら、決して今回の試合内容に満足していないと思います。
小学生の大会で優勝しても、プロになれないからです。
プロにならないとお金を稼げないからです。
プロになるためには、自分が上手くならなければいけないのです。
ヨーロッパの子ども達も、満足はしないでしょう。
南米の子ども達ほどお金が目的ではないでしょうけど、彼らは真剣にサッカーが上手くなりたいのです。
だから、チームの成績も大切ですが、一番大切なのは自分のプレー内容だということが分かっているはずです。
別に、つばさの選手達にプロになれとはいいません。
でも、上手くなるのも自分次第。
能力を腐らせるのも自分次第。
つばさのコーチ達は、あまり怒らないし、ハッパをかけることもありません。
でも、自分で頑張らなければいけないのです。
たとえ、それがサッカーじゃなくても…
育て、自主性&強いメンタリティ!(う~ん、またしても訳が分からん…)
その間、ワールドユースや東アジア選手権などでの日本人(というか日本代表)の闘い方を見て、色々と感じるところがありました。
そうやって、思いを巡らせていると、「自分はちょっと変わっているのかな?」と感じることがしばしばあります。
そういう思いは前からあったのですが、でもそれがつばさのカラーになっているんだからという自負のようなものもありました。
でも、本当にこれで良いのかな?
なんて事も最近思っちゃったりします…
どうする事が子ども達にとって一番良いのだろう…
悩みは尽きません…
まず、試合ですが、いつも(?)のように低学年の練習を終えてから、試合会場に向かいました。
1試合目には間に合わないかとも思ったのですが、多田小に着いた時にはまだゲーム中でした。
コーチ達のいる(狭い)ベンチにムリヤリ腰を下ろし、「今、何対何?」とスコアを聞いたら「0─0です!良くないです!」との事…
そして、その直後、WSCの右サイドの選手へパスが渡りました。
この選手がなぜだかドフリー!
しかも、ゴールへ向かってナイスコントロール!
そのまま落ち着いてシュート!
あっさりとゴールを奪われてしまったのです。
その時、会場にいたダレよりも焦ったのは、選手達ではなく自分だったと思います。
なにしろ、ベンチに座ったとたんに失点ですから…
「やばい、オレ、負けコーチ?疫病神?」とイヤな予感がしたものでした。
しかし、5年生はやってくれました。
鈴木コーチも掲示板に書いていますが、今までの5年生ならば、そのままズルズルと負けてしまう可能性が大でしたが、何とか同点弾を押し込みました。
その後、さらに1点を献上し、突き放されかけたのですが、ロスタイムでしぶとく同点に追いつき、PK合戦を制したのでした。
その後の決勝戦は、4─1とある程度安心してみていられる展開で、春に続いて中野区を制することができました。
冗談抜きで負けを覚悟した準決勝をひっくり返して(正確に言うと『ひっくり返す』まではいかず、追いついた)優勝をもぎ取った5年生は、勝負強くなったと思います。
優勝という結果と、勝負強さを見せた試合展開には、素直に拍手を送りたいと思います。
しかし…
しかしです!
最初に、自分がベンチに座った時のコーチの言葉「良くないです!」が表すように、試合内容は本当に良くありませんでした。
ここまでの5年生は、どちらかというとキレイなサッカーをする学年でした。
春の大会では、ちょっとした質の違いを見せつけるような内容で優勝しました。
でも、今回の準決勝以降は、何とか勝てたという感じのサッカーでした。
閉会式の時に、少年連盟の会長が「嬉しかった人は?」「悔しかった人は?」と聞いていました。
つばさの選手達は当然「嬉しかった人」に全員手を挙げました。
他のチームの選手達は、全員「悔しかった人」に手を挙げました。
ここで、会長がちょっと変化球を投げました。(自分は「ナイス、会長!」と思いました)
「では、優勝したつばさの選手の中で悔しかった人はいるかい?」
……誰も手を挙げませんでした。
この場面だけを見ると、優勝して万々歳!嬉しさで一杯です!
という感じに見えてしまいます。
訊き方を変えれば、違ったのかもしれませんが、優勝という結果のみに酔ってはいけないと思うのです。
6年生のところにも書きましたし、前回の春の優勝のところにも書いたと思いますが、満足してしまっては成長が止まってしまうのです。
優勝の余韻に浸る期間が終わった時で構いません、改めて自分のプレーを振り返り、今後の成長に生かそうとしている5年生がいることを期待します。
さて、話は変わりますが、ちょうどこの時期に前後してワールドユースと東アジア選手権が行われていました。(決勝戦当日はトヨタカップも…)
ワールドユースは、ベスト8という成績を残すも、ブラジルに惨敗…
また、それまでのゲーム内容も決して良いものではありませんでした。
ブラジルに負けた次の日のスポーツ新聞を見ると、「ブラジルの選手はお互いにパスを要求するし、試合中でも言い争っていた。自分たちは甘ちゃんだった」とか「プレーの形がない相手にどう対処していいか…。パニックだった」という選手のコメントが載っていました。
いくらユース年代といっても、ほとんどがプロ契約をしている選手であって、しかも日の丸をつけている選手がこのような状態とは…
ワールドカップバレーの時にも思ったのですが、どのスポーツの世界を見ても日本人選手のメンタリティには、自主性というものが感じられないのですが、それは自分だけでしょうか?
日本では、所謂「厳しい」「レベルの高い」という環境であればあるほどコーチが厳しく、また、そのようなコーチが歓迎されているような風潮もあると思います。
でも、そこから生まれるものは、コーチにやらされている選手なのではないかとも思うのです。
コーチに怒鳴られながらプレーする…
コーチに怒鳴られないようなプレーをする…
このような環境から、本当に強い選手は生まれないのではないかとも思うのです。
本当に厳しい環境とは、手を抜けば試合には全く使われなくなったり、簡単にクビを切られてしまったりという事だと思うのです。
日本の場合は、手を抜けばコーチが怒鳴ります。
でも、怒鳴られればすんでしまうのです。
「すみませんでした」と謝ってしまえば、また試合に使ってもらえます。
女子選手であれば、涙を流したりすると「泣き虫○○」なんてニックネームをつけられつつも、頑張っているなぁと美化されてしまいます。
私は、選手に対して鬼のように接するコーチは、実は非常に優しいコーチだと思うのです。
むしろ、優しすぎることで、選手の方も優しくなってしまっているような気もします。
本当に厳しいコーチは、手を抜いている選手を横目でチラッと見て、次のゲームから何も言わずに活きのイイ若手を使うコーチだと思います。
自分の勝手な想像ですが、このような競争意識を持たせる環境は外国に多いと思うのですが…
サッカーの世界に関していえば、南米の選手は皆、サッカーで成り上がろうとしています。
当然、(プロになるまで)手を抜くなんて事はないと思います。
新入りの選手に活躍されると困るので、絶対にパスを出さないとさえいいます。
選手全員がハングリー精神の固まりのようなものだと思います。
でも、ヨーロッパの経済的に安定している国でもメンタリティの強い選手はたくさんいます。
やはり、サッカーをやらされているのではなく、自分でやっているからでしょう。
サッカーが好きで、サッカーが上手くなりたいという純粋な動機だと思います。
そして、その動機が本当にしっかりしているのがトップの選手達だと思うのです。
さて、日本の選手達…
サッカーをやるというしっかりとした動機を持っている選手がどれだけいるか不安になってしまいます。
たしかに、日本は豊かな国です。
誘惑も多いです。
サッカーで成り上がらなくても、生活に困ることはないでしょう。
でも、だからこそ、「オレにはサッカーしかない!」という意識を持った選手が必要なのです。
ちょっと活躍するとマスコミで取り上げられ、アイドル扱いされてしまう日本の風潮にも問題はあると思いますが、それでもサッカーに対する気持ちだけは強く持ち続けなければいけないのです。
若い頃(中学、高校)の中田英寿は、非常に練習熱心で自分のプレー一つひとつに高いこだわりを見せていたとの話を聞いたことがあります。
当時、彼の年代には財前という天才プレーヤーがいて、中田英寿は財前の出したパスに走っていた「コマ」だったのですが…
その強いメンタリティが、今の彼を造ったとも言えるでしょう。
今は、「オイ!かかってこい!」とか「おまえ、金もらってんだろ!」なんて名ゼリフを審判に対して吐いてしまう、セレッソの大久保の行く末が気がかりでなりません…
さて、ここで話を戻しましょう。
もし、南米の子ども達だったら、決して今回の試合内容に満足していないと思います。
小学生の大会で優勝しても、プロになれないからです。
プロにならないとお金を稼げないからです。
プロになるためには、自分が上手くならなければいけないのです。
ヨーロッパの子ども達も、満足はしないでしょう。
南米の子ども達ほどお金が目的ではないでしょうけど、彼らは真剣にサッカーが上手くなりたいのです。
だから、チームの成績も大切ですが、一番大切なのは自分のプレー内容だということが分かっているはずです。
別に、つばさの選手達にプロになれとはいいません。
でも、上手くなるのも自分次第。
能力を腐らせるのも自分次第。
つばさのコーチ達は、あまり怒らないし、ハッパをかけることもありません。
でも、自分で頑張らなければいけないのです。
たとえ、それがサッカーじゃなくても…
育て、自主性&強いメンタリティ!(う~ん、またしても訳が分からん…)
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