これまで3年間、自分が担当としてきたチームが6年生として、つまり「つばさ」としての締めくくりとなる最後の公式戦を迎えることとなってしまいました。
都合の良いことに、相手はこれまで何度も対戦しているものの「試合」では勝っていないKFC。
5年の春・秋、6年の会長杯と続けて優勝しているものの、PKでの勝ち上がりや、PKでの優勝決定という自分の中ではスッキリしない気持ちがありました。
それを、この総決算となる試合で決着をつけてやろうという気持ちがありました。
そんなコーチの余計な気持ちがあったため、試合前にはいつも以上に子ども達に「気合い」を注入しました。
普段通りのサッカーをして、これまで積み重ねてきた練習の成果を出すのが目的だったのに…
そして、その気合いは見事に相手のサッカーにプラスに作用してしまったのでした。
KFCのサッカーは、タテに速い攻撃と豊富な運動量、そして強いプレッシャーをかけてくる、つばさの苦手とするスタイルです。
そんなサッカーを相手にするときは、猛烈な勢いで飛び込んでくる相手を鼻歌交じりに「いなす」余裕が必要です。
これまでのKFCとの試合でも、中盤を制して余裕を持ってボールとゲームを支配したこともありました。(そこまで圧倒はしていませんが)
しかし、この日はコーチが余計なことをしてしまったため、子ども達がいつも以上に相手とファイトしてしまったのです。
ものすごい勢いでプレッシャーをかけてくる相手に対して、正対して向き合い勝負を挑む。
まぁ、それ自体は悪くないのです。
ボールを失いさえしなければ。
相手の勢いを利用して、スッとかわしたり、つなぎのパスで相手をやり過ごしたりすることができれば。
しかし、しっかりとボールをコントロールしきれていない状況でも、相手と向き合って「勝負」をしてしまい、ボールを奪われる場面がほとんどでした。
当然、相手ボールになると怒濤のカウンター攻撃を受けることになります。
また、苦しい状態でボールをなんとか奪い返すも…という悪循環に完全にハマってしまいました。
試合前、ハーフタイムでは「まず、しっかりとボールをキープして、ゆっくりとしたつばさのリズムにゲームを持っていくこと!」と言いました。
しかし、それ以上に子ども達のアドレナリンが上がっていた(上げてしまった)のかもしれません。
「不用意」な「勝負」でボールを失うことも多かったのですが、単純なトラップミスやキックミスでボールを失うことも非常に多く、これでは勝つことは難しいというゲーム内容になってしまいました。
「気持ち」を戦闘態勢にもっていくことは、試合に臨む選手としては当然のことで、その上で頭をフル回転させ、どの様なプレーをすればよいかを考えられるようにならなければいけないとは思っています。
しかし、6年生でそんなことができるのは、とてつもなくマセているか、ちょっと変わっている子かもしれません。
ということで、20年近くもコーチをしているわりには、そんな簡単なことも見失ってしまった自分のミスも手伝って玉砕することとなってしまいました。
「負けた」という結果よりも、目指すべきサッカーが全くできなかった。
この事に非常に悔いが残る最後の公式戦となりました。
しかし、これまでにも目指すべきサッカーができないゲームはありました。
もちろん、良いゲームもありました。
この年代で、常に一定のレベルのゲームを続けるのは難しく、その内容にはムラがあるのは当然だと思います。
しかし、どんなゲームであろうが、まだまだ小学生のみんなには、そこから「何か」を感じ取って欲しいのです。
勝ったから良い。
負けたからダメ。
という事ではなく、どんなゲームでも、みんなにとっては「成長」するための材料であるのです。
スコアでも勝利をおさめ、内容も良かった。
でも、そんなゲームでも決して「満点」というゲームにはならないはずです。
ゲームが終わった後に、振り返ってみて、良かった点や悪かった点を自分なりに思い出すだけでも違うでしょう。
そこから課題を見つけだし、通常練習にいかすようになれば、言うことナシです。
これまで何度も言ってきましたが、みんなの目指すべき所は、つばさでの最後のキレイな思い出作りではなく、5年後、10年後に「良い選手」「大きな人間」になることです。
今回の「敗戦」「最低に近いゲーム内容」をさせてしまったことに対して、とても申し訳ない気持ちで一杯です。
でも、みんなには「最後の公式戦で1回戦負け」という苦い経験をしっかりと抱えて、この先どうすればいいかを模索して欲しいと思います。
そして、何年か経ったときに、逞しくなった姿を見せに来て欲しいと思います。
「あのとき、コーチが余計なことばっかり言うから、ヘンに気合いが入っちゃったんだよね~!」とか言いながら…
最後になりましたが、学年の垣根を越え、このゲームに駆けつけていただいた上、たくさんの声援を送っていただき、ありがとうございました。
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2007年2月12日月曜日
2006年12月10日日曜日
会長杯・5年生(3位決定戦)
久しぶりの更新となる「ひとり言」。
今回は準決勝、3位決定戦の2試合ともに0-3で落とした5年生の会長杯です。
自分は1・2年生の朝練をやっていた関係で、準決勝は見れませんでした。
ということで、3位決定戦の鷺宮戦のみの「ひとり言」です。
結果は2試合とも「負け」で点差も「0-3」ということで散々なゲームだという印象を持っている子ども達&親たちもいると思います。
しかし、自分は悪くなかった…いや、むしろここ最近のゲームの中ではすごく良かったのでは?と思っています。
確かにミスもたくさんありました。
そのミスがらみでの失点がほとんどです。
でもこの日の「ミス」はプレーの意図、イメージがこちらに伝わってくる「ミス」だったのです。
今までのゲームでは、「なんでそんなにイノシシみたいに相手に突っ込んでいくかなぁ…」とか「パスでも何でもないメチャ蹴りじゃん!!」というような、単なる「タマ蹴り」を必死の形相でプレーしている感じでした。
でも、この日はちゃんと「サッカー」をしていました。
サッカーチームなんだから当たり前と思うかもしれません。
ところが、それがそんなに簡単なことではないのです。
子どもがサッカークラブに入ったからと、親の年代になって初めてボールを蹴った人なら分かると思いますが、とにかくボールがいうことをきいてくれないのです。
そんな中でタイミングよくパスを出したり、相手の出方をうかがってドリブルで仕掛けたり、シュートを打つ…なんて芸当はそうそう簡単にはできません。
そんな時、子ども達によくありがちなパターンが「とりあえず」ゴールの方向にボールを「適当に」蹴る!という事です。
そうしておけば、ボールは自分のゴールからは遠ざかるし、相手のゴールに近づくからチャンスにもなるだろう…というのは相手が同じくらい素人チームの場合には通用するかもしれません。
相手チームのレベル(学年、年齢)が上がればあがるほど、適当な「キック」は簡単に守られてしまいますし、逆に奪われて攻撃をくらうことになってしまうのです。
また、技術的な問題以上にプレーのイメージというモノをしっかりと持っているかどうかも重要です。
ただ単に「しっかりつなげ!」とか「ていねいに!」といっても、何をどうすれば良いんだ?という事になります。
もちろん、サッカーにはこの時はこうする、この時は…というような「定型」はありません。
今、子ども達に伝えているのは、タテ(ゴール)が空いていればそこを逃さず突く。
自分がタテ(ゴール)にいけないときには、フリーな味方にしっかりつなぐ。…ということです。
もちろん、これは原則中の原則で、ただ「つなぐ」という中にも色々ありますし、ゴールへ向かったプレーというもにも色々なバリエーションがあります。
今日のゲームが良かったという理由は、そのプレーのイメージがベンチで見ている我々にちゃんと伝わってきたということです。
これはとても大事なことです。
そのプレーのイメージを持っていれば、試合中のミスも「今のトラップはさぁ…」「あっちの方はちゃんと目に入っていたの?」という会話にかわり、子ども達が「自分で」「判断」する事の重要性にも気づくようになるでしょう。
「自分で」というのがサッカーにおいては最も重要なのです。
そして、それはサッカーのみにとどまらず、日常生活や今度の人間的な成長にも非常に重要なことだと思っています。
この日は2試合とも負けてしまったけれど、「先」の見える意味のある「負け」だったと思っています。
今日(水曜)の練習で子ども達にも言いましたが、ちょっとしたトラップミスやパスの「ズレ」を無くすような努力をすることが今は一番大切です。
そして、イメージ通りに相手のディフェンスをくずしてゴールを奪ったときの「快感」をたくさん経験して欲しいと思います。
そうするとサッカーは、もっともっと楽しくなるはずです!
自分達のサッカーを信じて頑張ろう!
未来はきっと明るいはずだ!
今回は準決勝、3位決定戦の2試合ともに0-3で落とした5年生の会長杯です。
自分は1・2年生の朝練をやっていた関係で、準決勝は見れませんでした。
ということで、3位決定戦の鷺宮戦のみの「ひとり言」です。
結果は2試合とも「負け」で点差も「0-3」ということで散々なゲームだという印象を持っている子ども達&親たちもいると思います。
しかし、自分は悪くなかった…いや、むしろここ最近のゲームの中ではすごく良かったのでは?と思っています。
確かにミスもたくさんありました。
そのミスがらみでの失点がほとんどです。
でもこの日の「ミス」はプレーの意図、イメージがこちらに伝わってくる「ミス」だったのです。
今までのゲームでは、「なんでそんなにイノシシみたいに相手に突っ込んでいくかなぁ…」とか「パスでも何でもないメチャ蹴りじゃん!!」というような、単なる「タマ蹴り」を必死の形相でプレーしている感じでした。
でも、この日はちゃんと「サッカー」をしていました。
サッカーチームなんだから当たり前と思うかもしれません。
ところが、それがそんなに簡単なことではないのです。
子どもがサッカークラブに入ったからと、親の年代になって初めてボールを蹴った人なら分かると思いますが、とにかくボールがいうことをきいてくれないのです。
そんな中でタイミングよくパスを出したり、相手の出方をうかがってドリブルで仕掛けたり、シュートを打つ…なんて芸当はそうそう簡単にはできません。
そんな時、子ども達によくありがちなパターンが「とりあえず」ゴールの方向にボールを「適当に」蹴る!という事です。
そうしておけば、ボールは自分のゴールからは遠ざかるし、相手のゴールに近づくからチャンスにもなるだろう…というのは相手が同じくらい素人チームの場合には通用するかもしれません。
相手チームのレベル(学年、年齢)が上がればあがるほど、適当な「キック」は簡単に守られてしまいますし、逆に奪われて攻撃をくらうことになってしまうのです。
また、技術的な問題以上にプレーのイメージというモノをしっかりと持っているかどうかも重要です。
ただ単に「しっかりつなげ!」とか「ていねいに!」といっても、何をどうすれば良いんだ?という事になります。
もちろん、サッカーにはこの時はこうする、この時は…というような「定型」はありません。
今、子ども達に伝えているのは、タテ(ゴール)が空いていればそこを逃さず突く。
自分がタテ(ゴール)にいけないときには、フリーな味方にしっかりつなぐ。…ということです。
もちろん、これは原則中の原則で、ただ「つなぐ」という中にも色々ありますし、ゴールへ向かったプレーというもにも色々なバリエーションがあります。
今日のゲームが良かったという理由は、そのプレーのイメージがベンチで見ている我々にちゃんと伝わってきたということです。
これはとても大事なことです。
そのプレーのイメージを持っていれば、試合中のミスも「今のトラップはさぁ…」「あっちの方はちゃんと目に入っていたの?」という会話にかわり、子ども達が「自分で」「判断」する事の重要性にも気づくようになるでしょう。
「自分で」というのがサッカーにおいては最も重要なのです。
そして、それはサッカーのみにとどまらず、日常生活や今度の人間的な成長にも非常に重要なことだと思っています。
この日は2試合とも負けてしまったけれど、「先」の見える意味のある「負け」だったと思っています。
今日(水曜)の練習で子ども達にも言いましたが、ちょっとしたトラップミスやパスの「ズレ」を無くすような努力をすることが今は一番大切です。
そして、イメージ通りに相手のディフェンスをくずしてゴールを奪ったときの「快感」をたくさん経験して欲しいと思います。
そうするとサッカーは、もっともっと楽しくなるはずです!
自分達のサッカーを信じて頑張ろう!
未来はきっと明るいはずだ!
2006年7月18日火曜日
中田英寿引退特番
先日放送された「中田英寿引退特番」(番組タイトルは違ったかも?)を見ました。
普段自分が考えているようなことと同じようなことをいっているのを聞き、ちょっと安心すると同時に、自分に厳しく行動するナカータと自分との違いに恥ずかしくもなったりしました…が、理路整然と自分の考えをストレートに話すナカータに知性と人間的魅力を感じると同時に、番組内に登場してきた現代表選手達のコメントは、いかにもテレビ向けの模範解答という感じで、何とも薄っぺらい感じがしました。
この辺にも、ナカータと現代表メンバーとの「ミゾ」が表れているのかなとも思いました。
自分の考えをストレートに他人にぶつけて(ぶつけ合うことを望んでいるのだと思いますが)ものごとを良い方向に持っていこうとするナカータと、ガチンコの話し合いを避けたくて仕方がない他のメンバー達。(あくまで想像ですが)
ナカータがウザがられるのは、当然の結果だったのかと思いました。
どうやら、現代表のメンバーのほとんどは他人に意見されることが大嫌いなようです。
トルシエの独裁体制に嫌気をさし、日韓W杯のチームに覇気がなかったのは、そのせいだったのかとも想像してしまいます。
ジーコ体制になったとたん、「ガミガミ言うのがトルシエからヒデさんに変わっただけじゃん…」とカゲでぼそっと囁く選手もいたとかいないとか…
自分の意見を言うことは出来ない上、相手と議論を交わすことは避けるけど、自分に意見する相手に対しては不快感を示す…
腐りきった選手達というような気がしますが、実はこれが日本人の大多数の姿だとも思います。
そういった意味で、ナカータはやっぱり日本人離れしていたのでしょうか。
不満があってもとソッと胸の内にしまい込むのが、日本人の美しい所だと思われている節もあります。
武士の姿として思い浮かぶのは「黙して語らず」という様な雰囲気です。
でも、今の日本人と武士道の世界に生きてきた日本人と明らかに違うのは、「自分」というモノを強く持っているかどうかだと思います。
言葉で多くを語らないぶん、行動で示していたのではないかと勝手に想像してみますが、どうでしょう?
武士道の時代まで逆行しなくても、「大和魂」を持っていた日本人もちょっと前まではたくさんいたのではないかと思うのですが…
長嶋茂雄も、天才とか天性の明るさを持った選手と言われていましたが、凄まじいほどの練習量がミスターを支えていたというのは周知の事実です。
輪島功一やガッツ石松と言った、今ではバラエティで活躍しているボクサータレントも、科学的トレーニングの確立されていない時代ではありましたが、強い意志と地道な努力がその裏付けとなって日本中を感動させるような選手になったのでしょう。
現在の日本人は、ただトラブルになるのを避け、表面上の薄っぺらい付き合いが上手くいけば良いという感じなのではないでしょうか。
今では、同じくボクシングの亀田三兄弟が話題になっています。
厳しいトレーニングを積んでいるという点は認めますが、対戦相手を尊重するという、人として基本的な部分が欠落している(演出だという話しもありますが、見ていて不快になります)上、あまりに品が無さすぎる「選手」としては最低な人間を持ち上げる周囲の体制に辟易してしまいます。
ナカータの場合も、自分に非常に厳しいという点が似ているような気がします。
試合後のロッカールームで、足首をボッコリ腫らしていたナカータに「何だ、その足!ヒデ、痛くナイのかよ!!」と驚いてきいた選手がいたそうです。
ナカータは「痛いに決まってるじゃん!」とサラッと言ってサッサと着替えて帰って行ったそうです。
後日談として「痛いとか、疲れたとか、そういった弱い部分はぜったいに相手に見せたくない」と言っていたそうです。
ユース代表として招集された時も、その当時はパッとしない選手だったと、当時の監督だった人から聞いています。(ただ、身体能力はズバ抜けていたようです)
しかし、練習に取り組む姿勢や物事を吸収しようとする姿勢は、際立って目立っていたそうです。
誰もが分かっているけど、実際にやるのは難しい、きっちり練習するという事をナカータは中学生くらいの頃から彼の武器である「強い意志」を持って遂行していたのでしょう。
今回の引退も、絶対に早すぎると思いますが、高校生(中学かも?)の頃から「計画」してきた彼のスケジュール通りなのでしょう。
自分の立てた目標に対して、絶対に妥協することなく、強い意志を持って突き進んできたナカータだからこそ、今のナカータがあったのだと思いますし、それを曲げるのはナカータらしくないのかもしれません。
でも、サッカーは選手として第一線でプレーしている時が一番楽しいし、輝いていられるのです。
プレースタイルは好きな部類ではありませんが、引退の撤回も期待してしまいます。
子ども達の手本となるべき選手は、なるべく長くプレーしてその姿を子ども達に見せるべきだと思うのです。
まぁ、周囲の日本人選手にとっては恐ろしく付き合いにくい存在なんだろうけど…
それにしても、前から思っていたのですが、今の日本人のメンタリティーや文化背景から考えると、日本人はサッカーに向いていないのかもしれません。
ちょっと悲しくなりました…
普段自分が考えているようなことと同じようなことをいっているのを聞き、ちょっと安心すると同時に、自分に厳しく行動するナカータと自分との違いに恥ずかしくもなったりしました…が、理路整然と自分の考えをストレートに話すナカータに知性と人間的魅力を感じると同時に、番組内に登場してきた現代表選手達のコメントは、いかにもテレビ向けの模範解答という感じで、何とも薄っぺらい感じがしました。
この辺にも、ナカータと現代表メンバーとの「ミゾ」が表れているのかなとも思いました。
自分の考えをストレートに他人にぶつけて(ぶつけ合うことを望んでいるのだと思いますが)ものごとを良い方向に持っていこうとするナカータと、ガチンコの話し合いを避けたくて仕方がない他のメンバー達。(あくまで想像ですが)
ナカータがウザがられるのは、当然の結果だったのかと思いました。
どうやら、現代表のメンバーのほとんどは他人に意見されることが大嫌いなようです。
トルシエの独裁体制に嫌気をさし、日韓W杯のチームに覇気がなかったのは、そのせいだったのかとも想像してしまいます。
ジーコ体制になったとたん、「ガミガミ言うのがトルシエからヒデさんに変わっただけじゃん…」とカゲでぼそっと囁く選手もいたとかいないとか…
自分の意見を言うことは出来ない上、相手と議論を交わすことは避けるけど、自分に意見する相手に対しては不快感を示す…
腐りきった選手達というような気がしますが、実はこれが日本人の大多数の姿だとも思います。
そういった意味で、ナカータはやっぱり日本人離れしていたのでしょうか。
不満があってもとソッと胸の内にしまい込むのが、日本人の美しい所だと思われている節もあります。
武士の姿として思い浮かぶのは「黙して語らず」という様な雰囲気です。
でも、今の日本人と武士道の世界に生きてきた日本人と明らかに違うのは、「自分」というモノを強く持っているかどうかだと思います。
言葉で多くを語らないぶん、行動で示していたのではないかと勝手に想像してみますが、どうでしょう?
武士道の時代まで逆行しなくても、「大和魂」を持っていた日本人もちょっと前まではたくさんいたのではないかと思うのですが…
長嶋茂雄も、天才とか天性の明るさを持った選手と言われていましたが、凄まじいほどの練習量がミスターを支えていたというのは周知の事実です。
輪島功一やガッツ石松と言った、今ではバラエティで活躍しているボクサータレントも、科学的トレーニングの確立されていない時代ではありましたが、強い意志と地道な努力がその裏付けとなって日本中を感動させるような選手になったのでしょう。
現在の日本人は、ただトラブルになるのを避け、表面上の薄っぺらい付き合いが上手くいけば良いという感じなのではないでしょうか。
今では、同じくボクシングの亀田三兄弟が話題になっています。
厳しいトレーニングを積んでいるという点は認めますが、対戦相手を尊重するという、人として基本的な部分が欠落している(演出だという話しもありますが、見ていて不快になります)上、あまりに品が無さすぎる「選手」としては最低な人間を持ち上げる周囲の体制に辟易してしまいます。
ナカータの場合も、自分に非常に厳しいという点が似ているような気がします。
試合後のロッカールームで、足首をボッコリ腫らしていたナカータに「何だ、その足!ヒデ、痛くナイのかよ!!」と驚いてきいた選手がいたそうです。
ナカータは「痛いに決まってるじゃん!」とサラッと言ってサッサと着替えて帰って行ったそうです。
後日談として「痛いとか、疲れたとか、そういった弱い部分はぜったいに相手に見せたくない」と言っていたそうです。
ユース代表として招集された時も、その当時はパッとしない選手だったと、当時の監督だった人から聞いています。(ただ、身体能力はズバ抜けていたようです)
しかし、練習に取り組む姿勢や物事を吸収しようとする姿勢は、際立って目立っていたそうです。
誰もが分かっているけど、実際にやるのは難しい、きっちり練習するという事をナカータは中学生くらいの頃から彼の武器である「強い意志」を持って遂行していたのでしょう。
今回の引退も、絶対に早すぎると思いますが、高校生(中学かも?)の頃から「計画」してきた彼のスケジュール通りなのでしょう。
自分の立てた目標に対して、絶対に妥協することなく、強い意志を持って突き進んできたナカータだからこそ、今のナカータがあったのだと思いますし、それを曲げるのはナカータらしくないのかもしれません。
でも、サッカーは選手として第一線でプレーしている時が一番楽しいし、輝いていられるのです。
プレースタイルは好きな部類ではありませんが、引退の撤回も期待してしまいます。
子ども達の手本となるべき選手は、なるべく長くプレーしてその姿を子ども達に見せるべきだと思うのです。
まぁ、周囲の日本人選手にとっては恐ろしく付き合いにくい存在なんだろうけど…
それにしても、前から思っていたのですが、今の日本人のメンタリティーや文化背景から考えると、日本人はサッカーに向いていないのかもしれません。
ちょっと悲しくなりました…
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