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2010年5月16日日曜日

6年生練習試合@鷺宮高校

約1年ぶりの更新です。
ご無沙汰しておりました。
この1年の間に「ツイッター」なるものが流行し、自分もスーパーコーチのつぶやきとして、ちょこっと取り入れてみたものの、使いこなせずに掲示板と化しています…(フォローとかフォロワー、リツイート…?良く分かってません…)
ツイートできないほどの長いぼやきは「ひとり言」にと棲み分けていきたいと思います。
という事で、今回は練習試合を見て感じた現6年生についてボソッとひとり言します。

この日の試合で良かった点は、(数名ですが)個々の成長をしっかりと感じる事が出来た事。
特にユウタとソウタは、視野も広くなり、パスとドリブルの使い分けも上手く、攻撃のリズムを作っていました。
もともと、この二人はその片鱗を見せてはいましたが、この日は頼もしさを感じさせるほどのプレーを随所に見せてくれました。
また、これまでリフティング100回オーバー組でなかった、ショウタ、コウタ、エイイチ、ソウヤあたりも最近は急激な成長を見せてくれています。
その反面、伸び悩んでいる子達も当然ながら存在します。
これまでも何度か書いてきましたが、自分としては5年後、10年後の姿をイメージしながら子ども達と接しているつもりです。
ですから、現時点で「ゴールをたくさん取った」とか「何人ドリブルで抜いた」という「事実」よりも、どのようなプレーをどのような状況で選択したのかという「状況判断」やプレーの「質」に目を向けています。
ですから、ドリブルで3人をかわしたとしても、そのドリブルが最良のプレーだったのかどうか、どのような抜き方だったのかが問題になります。
自分が「伸び悩んでいる」と感じる子達は、強引にドリブルやシュートを仕掛けることでボールを失ってばかりのプレーが目立ちました。
とはいっても、フリーな味方に必ずしもパスを出す必要はないと思います。
自分でシュートやドリブルを仕掛けるという判断も「アリ」だと思っています。
しかし、そこには2つの条件がつきます。
ひとつは「結果」です。
フリーな味方にパスを出さずにシュートを打ったのは何故なのか?
スペースにボールを動かす事よりも、強引なドリブルを選んだのは何故なのか?
そこには、そちらの方が良いからという「判断」があったはずですし、なければ困ります。
その結果、あっさりボールを奪われたり、全く得点のにおいを感じさせないシュートで終わってしまったのでは、その「判断」に疑問符がつくのは当然です。
強引なシュートやドリブルは「結果」を出さなければいけません。
少なくとも、「結果」を期待させるような「惜しい」プレーを見せなければ、「判断」の出来ない選手、視野の狭い選手となります。
もうひとつは「駆け引き」を感じる事が出来るかどうかです。
相手にパスを匂わせておいてのシュートやドリブル、ディフェンスが対応できないようなタイミングでのプレーだったりというように、そこに「意外性」がなければそれはただ単に「強引な」「自分勝手な」プレーと見られてしまいます。
・相手がシュートを予測してシュートコースをしっかり消しているのにシュートを打つ→相手に当たる
・相手がドリブルへの対応をしているのに何の工夫もなくドリブルを仕掛ける→あっさりボールを奪われる
このようなプレーが多い選手は、どんなにボール扱いに優れていても身体能力が高くても、5年後、10年後にチームの核となってプレーする事は難しいと思います。
最近、テレビや雑誌などで「リスクを冒す」という言葉が大流行しています。
また、「積極的に仕掛ける」「自己主張の出来る選手」など、ガンガンとドリブルを仕掛けたり、ゴールに向かう姿勢を出す選手を評価する傾向にあります。
パスを出さずに強引なドリブルを仕掛ける選手には、そこに「駆け引き」が伴っていなくても「良いチャレンジですね」とか「積極的な仕掛けが出来る貴重な存在」「前向きな姿勢が良い」と言われます。
しかし、「積極的」と「無謀」は違います。
「駆け引き」のないプレーや、「結果」を期待できないようなプレーは「積極的」とは言えません。
しかし、強引なプレーをコーチが叱責して規制してしまうと、選手達に「積極性」は育ちません。
失敗を繰り返しながら、その判断基準を自分で構築していくしかないのです。
そして、その作業がしっかり出来る選手が「伸びる」選手なのです。
これはサッカーに限った事ではないと思います。
人との付き合いや社会に出てからの仕事においても、「経験」からどれだけの事を学び取って次に活かす事が出来るかが「キモ」となります。
また、色々な事柄を自分の成長のための「糧」とする「敏感」なアンテナを常に張っているかどうかも大切です。
自分の頭で考え、工夫するという習慣を自然と日常生活から身につけている子は、将来的に伸びる可能性を大いに秘めていると思います。
その為にも、その「判断」する機会を子ども達にたくさん与えなければいけません。
プレーをする前にコーチが指示を出しまくり、「判断」する機会を奪ってしまうような事は避けなければいけません。(ついつい声を出してしまうのですが…)
また、日常生活でも子ども達には「自立」を促すべきだと思います。
もう6年生、周囲の大人がアレコレと気を遣ってあげるのは、子ども達がサッカーをプレーする事だけに専念できるかもしれませんが、結果的に子ども達の成長を妨げ、ひ弱な大人にしてしまうかもしれません。
子ども達の自覚を促し、自主性を育てるための「我慢」を大人もしていく必要があると思います。
日常生活とサッカーは切っても切れない関係なのだと思います。
だって、サッカー(サッカーに限った話しではありませんが)は人間性が大切ですから…