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2006年12月10日日曜日

会長杯・5年生(3位決定戦)

久しぶりの更新となる「ひとり言」。
今回は準決勝、3位決定戦の2試合ともに0-3で落とした5年生の会長杯です。
自分は1・2年生の朝練をやっていた関係で、準決勝は見れませんでした。
ということで、3位決定戦の鷺宮戦のみの「ひとり言」です。

結果は2試合とも「負け」で点差も「0-3」ということで散々なゲームだという印象を持っている子ども達&親たちもいると思います。
しかし、自分は悪くなかった…いや、むしろここ最近のゲームの中ではすごく良かったのでは?と思っています。
確かにミスもたくさんありました。
そのミスがらみでの失点がほとんどです。
でもこの日の「ミス」はプレーの意図、イメージがこちらに伝わってくる「ミス」だったのです。
今までのゲームでは、「なんでそんなにイノシシみたいに相手に突っ込んでいくかなぁ…」とか「パスでも何でもないメチャ蹴りじゃん!!」というような、単なる「タマ蹴り」を必死の形相でプレーしている感じでした。
でも、この日はちゃんと「サッカー」をしていました。
サッカーチームなんだから当たり前と思うかもしれません。
ところが、それがそんなに簡単なことではないのです。
子どもがサッカークラブに入ったからと、親の年代になって初めてボールを蹴った人なら分かると思いますが、とにかくボールがいうことをきいてくれないのです。
そんな中でタイミングよくパスを出したり、相手の出方をうかがってドリブルで仕掛けたり、シュートを打つ…なんて芸当はそうそう簡単にはできません。
そんな時、子ども達によくありがちなパターンが「とりあえず」ゴールの方向にボールを「適当に」蹴る!という事です。
そうしておけば、ボールは自分のゴールからは遠ざかるし、相手のゴールに近づくからチャンスにもなるだろう…というのは相手が同じくらい素人チームの場合には通用するかもしれません。
相手チームのレベル(学年、年齢)が上がればあがるほど、適当な「キック」は簡単に守られてしまいますし、逆に奪われて攻撃をくらうことになってしまうのです。
また、技術的な問題以上にプレーのイメージというモノをしっかりと持っているかどうかも重要です。
ただ単に「しっかりつなげ!」とか「ていねいに!」といっても、何をどうすれば良いんだ?という事になります。
もちろん、サッカーにはこの時はこうする、この時は…というような「定型」はありません。
今、子ども達に伝えているのは、タテ(ゴール)が空いていればそこを逃さず突く。
自分がタテ(ゴール)にいけないときには、フリーな味方にしっかりつなぐ。…ということです。
もちろん、これは原則中の原則で、ただ「つなぐ」という中にも色々ありますし、ゴールへ向かったプレーというもにも色々なバリエーションがあります。
今日のゲームが良かったという理由は、そのプレーのイメージがベンチで見ている我々にちゃんと伝わってきたということです。
これはとても大事なことです。
そのプレーのイメージを持っていれば、試合中のミスも「今のトラップはさぁ…」「あっちの方はちゃんと目に入っていたの?」という会話にかわり、子ども達が「自分で」「判断」する事の重要性にも気づくようになるでしょう。
「自分で」というのがサッカーにおいては最も重要なのです。
そして、それはサッカーのみにとどまらず、日常生活や今度の人間的な成長にも非常に重要なことだと思っています。
この日は2試合とも負けてしまったけれど、「先」の見える意味のある「負け」だったと思っています。
今日(水曜)の練習で子ども達にも言いましたが、ちょっとしたトラップミスやパスの「ズレ」を無くすような努力をすることが今は一番大切です。
そして、イメージ通りに相手のディフェンスをくずしてゴールを奪ったときの「快感」をたくさん経験して欲しいと思います。
そうするとサッカーは、もっともっと楽しくなるはずです!
自分達のサッカーを信じて頑張ろう!
未来はきっと明るいはずだ!

2006年7月18日火曜日

中田英寿引退特番

先日放送された「中田英寿引退特番」(番組タイトルは違ったかも?)を見ました。
普段自分が考えているようなことと同じようなことをいっているのを聞き、ちょっと安心すると同時に、自分に厳しく行動するナカータと自分との違いに恥ずかしくもなったりしました…が、理路整然と自分の考えをストレートに話すナカータに知性と人間的魅力を感じると同時に、番組内に登場してきた現代表選手達のコメントは、いかにもテレビ向けの模範解答という感じで、何とも薄っぺらい感じがしました。
この辺にも、ナカータと現代表メンバーとの「ミゾ」が表れているのかなとも思いました。

自分の考えをストレートに他人にぶつけて(ぶつけ合うことを望んでいるのだと思いますが)ものごとを良い方向に持っていこうとするナカータと、ガチンコの話し合いを避けたくて仕方がない他のメンバー達。(あくまで想像ですが)
ナカータがウザがられるのは、当然の結果だったのかと思いました。
どうやら、現代表のメンバーのほとんどは他人に意見されることが大嫌いなようです。
トルシエの独裁体制に嫌気をさし、日韓W杯のチームに覇気がなかったのは、そのせいだったのかとも想像してしまいます。
ジーコ体制になったとたん、「ガミガミ言うのがトルシエからヒデさんに変わっただけじゃん…」とカゲでぼそっと囁く選手もいたとかいないとか…
自分の意見を言うことは出来ない上、相手と議論を交わすことは避けるけど、自分に意見する相手に対しては不快感を示す…
腐りきった選手達というような気がしますが、実はこれが日本人の大多数の姿だとも思います。
そういった意味で、ナカータはやっぱり日本人離れしていたのでしょうか。
不満があってもとソッと胸の内にしまい込むのが、日本人の美しい所だと思われている節もあります。
武士の姿として思い浮かぶのは「黙して語らず」という様な雰囲気です。
でも、今の日本人と武士道の世界に生きてきた日本人と明らかに違うのは、「自分」というモノを強く持っているかどうかだと思います。
言葉で多くを語らないぶん、行動で示していたのではないかと勝手に想像してみますが、どうでしょう?
武士道の時代まで逆行しなくても、「大和魂」を持っていた日本人もちょっと前まではたくさんいたのではないかと思うのですが…
長嶋茂雄も、天才とか天性の明るさを持った選手と言われていましたが、凄まじいほどの練習量がミスターを支えていたというのは周知の事実です。
輪島功一やガッツ石松と言った、今ではバラエティで活躍しているボクサータレントも、科学的トレーニングの確立されていない時代ではありましたが、強い意志と地道な努力がその裏付けとなって日本中を感動させるような選手になったのでしょう。
現在の日本人は、ただトラブルになるのを避け、表面上の薄っぺらい付き合いが上手くいけば良いという感じなのではないでしょうか。
今では、同じくボクシングの亀田三兄弟が話題になっています。
厳しいトレーニングを積んでいるという点は認めますが、対戦相手を尊重するという、人として基本的な部分が欠落している(演出だという話しもありますが、見ていて不快になります)上、あまりに品が無さすぎる「選手」としては最低な人間を持ち上げる周囲の体制に辟易してしまいます。
ナカータの場合も、自分に非常に厳しいという点が似ているような気がします。
試合後のロッカールームで、足首をボッコリ腫らしていたナカータに「何だ、その足!ヒデ、痛くナイのかよ!!」と驚いてきいた選手がいたそうです。
ナカータは「痛いに決まってるじゃん!」とサラッと言ってサッサと着替えて帰って行ったそうです。
後日談として「痛いとか、疲れたとか、そういった弱い部分はぜったいに相手に見せたくない」と言っていたそうです。
ユース代表として招集された時も、その当時はパッとしない選手だったと、当時の監督だった人から聞いています。(ただ、身体能力はズバ抜けていたようです)
しかし、練習に取り組む姿勢や物事を吸収しようとする姿勢は、際立って目立っていたそうです。
誰もが分かっているけど、実際にやるのは難しい、きっちり練習するという事をナカータは中学生くらいの頃から彼の武器である「強い意志」を持って遂行していたのでしょう。
今回の引退も、絶対に早すぎると思いますが、高校生(中学かも?)の頃から「計画」してきた彼のスケジュール通りなのでしょう。
自分の立てた目標に対して、絶対に妥協することなく、強い意志を持って突き進んできたナカータだからこそ、今のナカータがあったのだと思いますし、それを曲げるのはナカータらしくないのかもしれません。
でも、サッカーは選手として第一線でプレーしている時が一番楽しいし、輝いていられるのです。
プレースタイルは好きな部類ではありませんが、引退の撤回も期待してしまいます。
子ども達の手本となるべき選手は、なるべく長くプレーしてその姿を子ども達に見せるべきだと思うのです。
まぁ、周囲の日本人選手にとっては恐ろしく付き合いにくい存在なんだろうけど…
それにしても、前から思っていたのですが、今の日本人のメンタリティーや文化背景から考えると、日本人はサッカーに向いていないのかもしれません。
ちょっと悲しくなりました…

2006年6月24日土曜日

2006ドイツW杯・日本グループリーグ敗退

終わりました。
日本のW杯が。
決勝トーナメント行きを楽観視するマスコミを尻目に、「イヤ、そんなに簡単じゃないぞ…」と少々ひねくれた感を見せていましたが、ここまで徹底的にやられるとは正直思っていませんでした。

しかし、よくよく考えれば、アジアカップにしろW杯のアジア予選にしろ、実は負けても仕方がない試合ばかりだったようにも思います。
なんだか良く分からないけど、ロスタイムになるとゴール前で「ラッキーパンチ炸裂!」そして「劇的勝利!」「サポーター喜ぶ!」「日本は強いんだ!(勘違い)」というラッキーな悪循環に見舞われていました。(時には相手チームの選手が自分のゴールにボールを蹴り込んでくれたりもしましたが…)
さて、今回の不甲斐ない代表の原因は「ジーコの無策」だと鬼の首を取ったように叫ぶ人達がいますが、今大会を見れば分かるように、選手の質が違うのは明らかです。
監督がジーコでなかったらこの日本代表はオーストラリアにもクロアチアにも確実に勝ち、決勝トーナメント行きを決めていたでしょうか?
前回のベスト16を上回るのは当然といわれて言いましたが、本当にベスト8以上の力があったでしょうか?
トルシエなら勝てたのでしょうか?
これまでも何度か書いてきましたが、日本はサッカーではまだまだ後進国だと思います。
野球の世界では、イチローやゴジラ松井、大塚などがメジャーで「主力」としてチームに貢献しています。
サッカーにおける日本の海外組はどうでしょうか?
ほとんどの選手が試合に出られない状態で、なぜ日本のレベルが世界の上位に近いと言えるのか分かりません。
そんな後進国の日本は、小学生が何年か先に選手として花開くために、基礎固めをしなければいけない段階と同じです。
そこで大切なのは、練習試合や大会での勝ち負けや成績ではなく、どの様なサッカーをしようとしていたか、どの様なプレーが出来ていたのか、通用したのか、通用しなかったのかという事を厳しい目で見ることだと思います。
そして、その課題を基に先を見つめてトレーニングに励むこと。
つまり、アジアの中でギリギリで勝ったものの、内容的にはお寒い試合をしていようとも、「勝った」ということに満足してはいけないと思うのです。
親善試合で、地球の裏側から前日に到着して、時差ボケ&気候の違いにも有無をいわさず試合をさせて、僅差のゲーム(当然内容は乏しい)をくり返すことで、FIFAランクが上がることで大喜び…
本当に世界のトップレベルと肩を並べたいのならば、目指すべき目標をハッキリとさせるべきです。
泥試合から勝ちを拾うことではなく、日本人の体格、運動能力で世界に通用するサッカーを目指さなければいけないのです。
それは、代表レベルに限ったことではないと思います。
日本では(といっても海外のことは良く分かりませんが…)「勝てば官軍」という考え方が根強い感じがしてなりません。
所謂「強豪」といわれるチームのほとんどが、ボールを正確に丁寧に扱うという事や、相手のウラをとる攻撃を目指すことよりも、リスクの少ない「負けないサッカー」をしていると感じるのは自分のひねくれたモノの見方なのでしょうか?
しかし、その結果が日本代表の「武器」とされるタッチライン際からのクロスボールに表れているとしか思えません。
日本人の体格、運動能力は、世界レベルと比べると低いでしょう。
そこに空中戦を挑むのは無謀としかいいようがありません。
本当に針の穴を通すほどのコントロールされたボールをハイプレッシャーの中でも蹴れる選手がいるとも思いません。
(それでも、空中戦を制するのは難しいと思いますが…)
日本の目指すべきサッカーは、アルゼンチン・ブラジル・メキシコといったところが見せてくれた、ショートパス主体で組み立てて、相手を崩すサッカーだと思うのです。
今回のブラジル戦で、玉田が獲ったゴールはペナルティエリア内でのショートパスからでした。
その前の、加地の惜しい(?)場面も小笠原からのショートスルーパスでした。
しかし、そのためにはゴール前の相手が最も警戒しているエリアに一度はボールを運ぶことが必要となります。
今回は、そこにボールが運べないばかりか、そこでボールを持っても前を向けず(向かない)、後方へ下げるかサイドへ散らすのみ…
そこでボールを奪われてカウンターを喰らうことを警戒するよりも、ボールを奪われないような技術を身に付けるようにすべきです。
そして、それは代表世代になってから身に付けるのではなく、その前の段階なのです。
だからこそ、小学生のような時期にある日本代表にとって、ある程度の失敗は必要なのです。
目の前の試合は常に「負けられない闘い」ではないのです。
たとえ、今回のドイツ行きを逃したとしても、しっかりとしたビジョンを持ったサッカーをすべきだったと思います。
サッカー協会は、次の代表監督の人事に動いているようですが、どうなるでしょうか?
トルシエは組織を重んじる監督で、「オレのいうとおりに動け!」と暴れまくりました。
対するジーコは、「サッカーは選手がやるモノ、試合が始まったらコーチのやれる仕事は非常に限られている」という考えの基、選手達を「信頼(?)」し選手達がお互いに話し合う中で、チームの形を作っていこうという姿勢でした。
という全く正反対の監督人事をする協会に将来のビジョンはあるのかと疑ってしまいますが、そんなジーコのおかげ(?)で、日本の選手は事細かに指示を出されないと何も出来ない「機械」のようなモノだという事が露呈してしまいました。
そんな「機械」の選手達も「感情」は持っているようですが、自分の目にはそれは薄っぺらなモノとしか写りません。
以前、中田英がボランチをやっているときに、ガンガン上がって攻撃参加をしていた試合がありました。
その時、トップ下だった中村はバランスを取る為にボランチの位置に下がって、ディフェンスをしなければいけません。
そこで、中村は「ヒデさん上がりすぎ!」と思ったのです。
そこまではイイのです。
それを直接ヒデに言えば。
「ちょっと、ヒデさん上がりすぎだよ!もっとバランス考えてよ!」と。
でも、中村はなぜか宮本に「ヒデさんがあんなに上がると、オレが守らなきゃいけなくなっちゃうよ…ツネ、ヒデさんに言ってよ…」って、オマエ小学生か?
仮にもパパさんになった一人前の男がこのような状態とは…(中村ファンの方、スミマセン)
中村に限らず、インタビューでの「ファンの期待に応えられるよう…」とか「力を出し切って…」「自分達のサッカーを精一杯…」というセリフもなんだか上辺だけの言葉のようでコチラの心が動かないのです。
日本サッカーの父といわれる、クラマー氏が今の日本代表の問題点を「中田ヒデの行動を良く思っていない選手が多い」と言っていました。
「アイツ、張り切りすぎだよな…」「アツすぎ…」といったところでしょうか?
仕方がないことなのかもしれませんが、サッカーに魂を込めることの出来る11人が揃ってほしいと思います。
カズがフランスW杯で落選したときに「魂はフランスに置いてきた」といったのは練りに練ったセリフという感じがしてちょっと引いてしまいますが、カズがセリエAに挑戦するときの記者会見で「通用すると思いますか?」と聞かれ…「通用しないから行くんだよ!」とキレ気味に言った言葉には、ちょっと感動しました。
ちょっとチヤホヤされて、調子に乗る選手はもういりません。
サッカーバカの大量出現を待つしかないのでしょうか?
マスコミも選手を持ち上げすぎると思うのは気のせいでしょうか?
心から応援することが出来る代表になってほしいと思います。
日本のサッカーを胸を張って他国に誇れるようになりたいと思います。
だから、今は納得しません。
とにかく、頑張って欲しいです。
ガンバレ、日本!!
と…いつもながら、書いているうちに訳が分からなくなってきました。
あまり毒を吐きすぎて、サッカー界から干されても困るので、今日はこの辺で…

2006年5月4日木曜日

全日本6ブロック予選・3回戦

1・2回戦と内容的には良くないながらも、PKで勝ち(?)進んだ6年生。
3回戦からは、西が丘のサブグランドを使うということで、グランドが悪かったから良いサッカーが出来なかったという言い訳は通用しません。
そして、1・2回戦では見ることの出来なかったメンタル面での充実という点も、この試合では大きなポイントとなります。

前回の試合後、3日の朝練時、この日の試合前と全く同じ内容の話しをくり返しました。
1つめはメンタル面での話し。
「勝ちたい」「負けたくない」という気持ちを、もっとプレーとして前面に出すこと。
誰もが「勝たなくてもイイ」「負けてもイイ」と思ってはいないはずですが、「勝ちたい」「負けたくない」という思いを誰よりも強く持つこと、そしてそれをプレーとして出さなければ意味がないのです。
もう1つは、しっかりとボールをコントロールして、良い「判断」をするということ。
1・2回戦では、攻撃面でも全くいいところを見せることが出来ませんでした。
(何度かはあったのかもしれませんが、内容が悪すぎてその何度かも自分の記憶からは抹殺されてしまっています…)
ボールを持ったときに何をするのかは、4年になった時からずっと言ってきた事です。
バカの一つ覚えのように、タテに「しか」勝負を仕掛けない…
そこに、相手ディフェンダーがいても、自陣ゴール前でもプレーが変わることはない…
そうではなく、相手位置や味方のポジショニング、グランドのスペースを見て、プレーの質を変えてほしいのです。
この3回戦では、1・2回戦よりは良くなったというよりか、ちょっとはマシになったという感じです。
しかしながら、相手のミラクルシュートで先取点を奪われ、残り5分になったところでディフェンスの枚数を減らして勝負に出たところを突かれて、0-2で負けました。
負けたことは仕方ありません。
勝ち負けは、どうでも良くありませんが、どうでもイイのです。(?)
この時期(小学生期)に大事なのはどの様な内容のゲームをして、そこからどの様な課題を拾い上げるかという事だと思います。
その点、自分は子ども達に正直に言います。
勝った試合でも、良くないものは良くない。
負けた試合でも、良い内容でれば、「勝てはしなかったけれど、良かった!」と。
今日の試合後のミーティングでは「1・2回戦よりはマシになったけど、まだまだ『良いゲームだった!』とは言えない。」と言いました。
それは、決して高望みをしているのではなく、もっと良いときの6年生を見ているからです。
メンタル面では、5年の時のブロック大会でのリオ戦。
攻撃時の「判断」面では、このブロック大会のどの試合よりも良いゲームをしているのを何回も見ています。
勝ったからとか、ゴールを奪ったからといって、「良かった、良かった!」で終わっては、全く成長がないと思います。
何年もサッカーに携わった立場から、また上の年代(中学生や高校生)を見た経験からも、今のつばさの子ども達に必要なのは、ゲームやプレーの内容であり、もっと上を目指そうという向上心なのです。
このブロック大会の3試合で、試合に出ていたメンバーもベンチメンバーもその点ではまだまだだということを再認識しました。
ということで、5・6年生はトラップ(ファーストタッチ)向上キャンペーンに突入です。
色々な意味で足元を見直したいと思います。
さて、余談となりますが、この「ひとり言」は自分の本音を包み隠さず公表しています。
そのため、勝って結果を残していても、時には(いつも?)酷評をすることもあります。
それでも、自分がどの様なことを考えながら子ども達と接しているのかを多くの保護者の方に分かってもらうために始めました。
ここまで4年とちょっと続けてきたので、ほぼその役目は終わったのではないかとも考えます。
また、自分の「酷評」を不快に感じる人もいるようなので、更新は暫く様子を見ようと思います。
今後は、全くの不定期に、どうしても伝えたいことがある時だけ更新しようと思います。
長らく、ありがとうございました。

2006年5月3日水曜日

5年生大会・1~2回戦

30日は、試合後の6年生に説教をしていた事もあって、試合はほとんど見ていませんでした。
3日は、五中の朝練後、GWに異常発生しウジャウジャいる白バイに気をつけながら試合会場に到着すると、試合はもう始まっていました。
ということで、両日ともしっかりと見たとはいえないのですが、一番強く感じたことは「勝負強い」という事です。

サッカーには「判断力」や「駆け引き」が必要だとここまで書いてきました。
自分はそれらが欠落しているサッカーはサッカーとは認めたくありません。
単なる「タマ蹴り」と「サッカー」との間には決定的な違いがあるのです。
さて、ここまでを読んで察しのいい人なら分かると思いますが、現在の5年生のサッカーには「判断力」や「駆け引き」は殆どありません。(誤解を恐れずに言い切ってしまいました…)
パスのようなアバウトなキック。
パスのようなならまだしも、誰もいないところに意味不明のキック。(クリアではなく、余裕があったというところが悲しい)
闇雲にスピードを上げるドリブル。
時折、「うん、そうだ!」というようなプレーもありますが、そんな事はごく希です。
それでも、ゲームの流れの中(コーナー2本という噂もありますが…)でゴールを奪えるあたりが6年生と違って「勝負強い」と感じさせられるのです。
パスとは思えないようなキックが、逆サイドの選手に渡り、ビッグチャンスを演出…とてつもなく広い視野を持っている選手かのように感じさせてしまうようなプレーも何回かありました。
でも、それは「たまたま」できたチャンスで、自分達で「創り出した」のではないのです。
そして極めつけは「入っちゃった!」と思わずこぼしてしまうような、ミラクルなシュート。
「狙い通り」ではないのは間違いないと思いますが、そこには「勢い」がありました。
現在は、およそ「頭を使った」プレーが全くといっていいほど感じさせられない5年生ですが、堅いディフェンスと勢いを武器に「勝負強さ」を存分に発揮しています。
手遅れにならないうちに、手術を断行した方がいいという気もしますが、コーチが「アレはダメ!」「これもダメ!」と規制してしまうのではなく、ある程度自由にやらせている中から、良いプレーだけを拾って褒めていけば、悪いプレーは自然淘汰されていくのかもしれません。
しかし、一番恐いのは、適当なサッカーでも「結果」を出してしまう事で、それを認めてしまい、受け入れてしまう事です。
「とにかくゴール方向に蹴り込んでおけばチャンスが出来る。」
「苦しくなったらシュート!」
というのが身体に染み込んでしまったら、それを修正するのはなかなか大変です。
現在の「勢い」「勝負強さ」を失うことなく、「質」の向上を目指したいモノです。

2006年4月30日日曜日

全日本6ブロック予選・2回戦

初戦をPK戦で辛くもモノにし、2回戦にコマを進めた6年生。
2回戦の相手は、5年生の時に1回戦を戦った南池袋です。
この時は7-1で勝ちましたが、あまりサッカー的には良いとはいえず、個々の力でねじ伏せた感があり、課題である「駆け引き」や「判断」は皆無でした。
ということは、各選手の能力の差があるということで、普通に考えればそれほど苦しまずに勝てると思うのですが…

結果は、この試合も0-0のスコアレスドローの引き分け。
またまたPK戦で次戦にコマを進めました。
しかし、内容は全くダメでした。
前日のKFC戦が「イマイチ」ならば、この日は「最悪」でした。
そして、何よりもこの日の試合は、ベースとなるべき「メンタル」面でも全く良くありませんでした。
昨年の7-1での勝利が頭にあり、ある種の「油断」があったのかもしれません。
それは、自分も含めてですが、やはりサッカーはそんなに簡単なモノではないのです。
試合前のミーティングで、もっと子ども達を奮い立たせるようなトークを展開すべきだったのかもしれません。
アップの段階からもっと「闘う」姿勢を出させるべきだったのかもしれません。
その日の朝練で、結構よいプレーをする6年生をみて、密かに期待をしていた自分の心の隙が子ども達に伝わってしまったのかもしれません。
子ども達が大人(コーチ)の思い通りに動くというのは、とんでもない勘違いですが、6年生の持っている本当の「力」からすれば、それを出し切れていないし、引き出せていなかったと思います。
5年生大会の時のリオ戦では、こちらの胸が熱くなるくらいの「闘う姿勢」を見せてくれました。
その時、自分にしては珍しく「勝たせてやりたい!」と思ったのでした。
しかし、今日の試合をベンチで見ているうちに「こんなサッカーで勝ったら良くないんじゃないか…」と思ってしまったほどです。
実際、試合後のミーティングでは子ども達にもそのことを伝えました。
「勝った」(実際には引き分けで『勝って』はいないのですが)という事で、反省すべき点が薄れてしまったり、「最悪」の試合をしたという事実が薄くなってしまうのは何としても避けたかったのです。
どんな時(谷戸や五中の練習)でも、全力を出すこと。
口で言うのは簡単ですが、非情に難しいことです。
しかし、それが出来なければ、本物ではないし、本物にはなれないのです。
実際にグランドに出てプレーをするのは選手達ですが、それまでの段階で下準備をしたり、方向性を持たせるのが我々コーチの仕事です。
楽天の監督のように、自分は悪くないとボヤイてばかりの指導者にはなりたくありません。
この日の試合が、自分にとっても良い「薬」になるように気持ちを引き締めていかなければと思います。
コーチも成長していかないと…

2006年4月29日土曜日

全日本6ブロック予選・1回戦

4年の時は、初戦の対戦相手だった向原シャークスが3位。
5年の時は、2回戦で対戦したリオが準優勝。
と、いずれも負けた相手チームが好成績を収めるという「かませ犬」ぶりを発揮してきた6年生。
というよりも、自分のゴッドハンドの威力のすごさを再認識させられてしまいます。
そのゴッドハンドぶりは今以て健在なようで、今年は初戦で同じ中野区のKFCを引き当てました。
KFCとは春の区大会・秋の会長杯ともに試合は引き分けが3試合と、とてもやりにくい相手であります。

さて、試合の方は同じようにスコアレスドローの引き分け。
PK戦をものにして、2回戦進出を手に入れることが出来ました。
しかし、内容はイマイチ。
何よりもシュートがゼロ!
なんとか相手の攻撃を凌いだというのが本当のところです。
会長杯の「ひとり言」でも書きましたが、頑張るだけではなくプラスアルファ(判断や駆け引き)がほしいのですが、まだまだゲームをコントロールするようなレベルには達していません。
頑張る、走る、守るというような事しか知らないのは、サッカーの魅力をほとんど知らないのと同じです。
憎たらしいくらいに落ち着いたゲーム運びが出来ないものかと思いますが、同時にとても難しいことだとも思っています。
でも、そこを追求していくべきだと思いますし、判断や駆け引きを大事にするのが自分の考えるサッカーなのです。
・シュートがゼロでも、頑張って耐えてPKをモノにした
・内容はともかく、2回戦という一つ上の段階にコマを進めた
という事に満足してはいけないと思います。
子ども達にとっては、酷なことかもしれませんが、目標は高く掲げたいと思います。
もっともっと頑張らないとイカン!

2006年4月23日日曜日

会長杯・6年生

5年生の時には、春季大会・秋季大会ともに優勝するという、予想外(?)の結果を手にした学年ですが、どちらの優勝に関しても「ひとり言」でのコメントはしていませんでした。
優勝はしたものの、自分のイメージするサッカーとはほど遠く、「ひとり言」を書いてしまうとダメ出しをするのが目に見えており、それはちょっと気が引けたのです。
中野区の大会という小さなものですが、「優勝」するのは大変なことです。
もちろん、子ども達は精一杯の試合をしていました。
そして、その結果手に入れた大変貴重な「優勝」だったのです。
そこにダメ出しをするのは、いくら自分が非情でも出来ません…
ということで、ひさしぶりの「ひとり言」です。

まず、今回の試合のことは置いておいて、なぜ「優勝」という結果を手にしたのにダメ出しをしようとするのかについて書きたいと思います。
誤解を恐れずにいえば、小学生期に最優先されるのはチームとしての結果ではなく「個」の成長だと思っているからです。
試合で勝つ、大会で優勝するということは、「個々」の選手に自信をつけさせたり、モチベーション(やる気)をあげる為には必要不可欠です。
また、実績のあるチームにはいわゆる「強豪」チームからも試合のお誘いがあり、より多くの「経験」をすることが出来ます。
そして、なによりも「負けてもイイ」という試合というものは存在しないのです。
試合に臨む以上、出来る限りの力を振り絞って「勝利」を目指さなければいけません。
しかし、我々コーチはその「勝利」を目指す「方法」に気をつけなければいけないと思うのです。
今の6年生は、身体能力的に恵まれている学年だと思います。
その上、コーチのいうことを素直にきき、「走れ!コラァ!」とコーチが怒鳴れば必死で走り、「身体を当てろ!」とコーチが吠えればガツンとタックルします。
そこそこの運動能力持った選手達がよく走り、身体を張り、最後まであきらめない…これだけ揃っていれば、たいていの小学生のチームならそこそこ勝てます。
でも、それ「だけ」では困るのです。
気合いや走力「だけ」の選手は、サッカー選手ではないのです。
もちろん、闘争心や体力は選手にとってベースとなるものであり、備えていなければいけないものです。
しかし、これらはあくまでも「ベース」でなければいけないのです。
闘うことや走り回ることは、サッカー素人でも出来ます。
サッカー選手といわれるからには、そこにプラスして「判断力」が必要だと思うのです。
ベースとなる闘争心や向上心をしっかりと持ち、それに加えて適切な判断が出来る選手をひとりでも多く育てることがこの年代にとって最重要視されるべきです。
その面からいっても、前回の2回の優勝は「とても良くがんばった!」とは思いますが、サッカーの「質」という面からいうとまだまだだったのです。
さて、そんな優勝からしばらく時間が過ぎました。
最高学年となった初めての公式戦です。
「判断」という点からみると、少しずつですが良くなってきてはいます。
でも、もっと出来るはずです。
これは期待を込めてではなく、本心からそう思うのです。
勢いで勝つ、気合いで勝つ、根性で勝つのではなく、闘争心も集中力も充実している上に、高い技術と判断力でゲームをコントロールするようなチームであり、選手であってもらいたいと思います。
そして、そんなチームになることは十分可能だと思います。
常に上を見て頑張りましょう!
夢ではなく、単なる目標として。

2006年2月19日日曜日

CTN杯・準決勝~

つばさで最後の公式戦となるCTN杯。
準決勝にコマを進め、ここ最近の練習や試合の様子を見ていると、何かやってくれそうな期待を持たせてくれるような仕上がり具合でした。
しかし、準決勝のKFCには0-8と大敗し、3位決定戦もリードしながら3-3に追いつかれ、PK戦にも敗れてしまい、公式記録は「敢闘賞」という名の4位に落ち着きました。

会長杯では勝てるはずの試合内容でありながら、なぜか競り負けてしまうゲームを重ね、11チーム中7位という不本意な結果に終わってしまいました。
この日の試合もまさにそんな感じでした。
準決勝のKFC戦では、先制点を許すと実力を出し切れずズルズルと泥沼にはまっていくという、出なくていい悪い部分が見事に出てしまいました。
スコアこそ0-8ですが、本当はこんなに大敗するはずではないのです。
負け惜しみでもなんでもなく、本当にそう思っています。
3位決定戦では、立ち上がりからゲームを支配し、内容でも相手を圧倒していました。
順調に先取点、追加点を加え、余裕のゲーム運びをするかと思いきや…
ディフェンスラインをまったく崩されていない、偶然のようなシュートでゴールを割られると、さっきまでのゲーム運びはなんだったのかというような、全く別のチームとなってしまいました。
この2試合は、今年の6年生を象徴しているゲーム内容だったような気がします。
「もっと出来るのに…」「なぜ勝てないんだ?」「絶対負けるような試合じゃないのに…」そんな試合を何試合も重ねてきました。
最後の公式戦という場で、このような形でまとめなくてもイイのに…と思ってしまうのは自分だけではないはずです。
さて、そんな煮え切らないというか、脆さばかりが目立ってしまう6年生ですが、どんな結果に終わろうともその実力は非常に高いレベルにあると思います。
先ほども書きましたが、ここ最近の練習や試合での内容は、お世辞抜きに素晴らしいモノでした。
特に前日に組んだ練習試合では、多くの選手がコーチ陣を喜ばせるようなプレーを披露してくれました。
完成度は非常に高く、歴代の6年生と比べても遜色ないどころか、自分の記憶の中でも高レベルにありました。
それを実戦の場で出すことが出来なかったのは、コーチとして大いに反省すべき点です。
子ども達も、保護者の皆さんも、最後の公式戦は納得のいく結果ではなかったと思います。
それは、我々コーチ陣も同じですし、この最後の公式戦だけはなんとか結果を出させてあげたかったというのが本音です。
結果ばかりに目を奪われるとろくな事がないと信じている自分ですが、この大会だけは特別な感情が働きかけます。
しかし、納得のいかない結果に終わろうとも、今年の6年生は本当に良くやってくれました。
公式戦は終わりましたが、まだまだ招待試合や練習試合があります。
そこでは、他のチームのコーチに「これがウチのトップチームです」と胸を張って言える様なチームになってくれたと思います。
公式戦の結果で自信をつけて、つばさを巣立つということは難しくなってしまいましたが、残りの1ヶ月で子ども達が色々な面で自信を付け、胸を張って卒団出来るように精一杯関わっていきたいと思います。
本当は、ここで卒団ではなく、今後も付き合っていきたいのですが…
我々に出来ることは、残りの1ヶ月を無駄にしないことだけです。
あとは遠くから活躍を祈るしかないのですから…
6年生のみんなへ
最後の公式戦で4位になったけど、勝てる試合も落としまくったけど…
お前らはスゴイんだぞ!
イイ思いをさせてあげられなくて、ゴメンナサイ…

2006年2月11日土曜日

CTN杯・1回戦

本当に卒業してしまうのか?
いや、卒業してしまってイイのか?
…冗談抜きで、2ヶ月先の中学生活を心配してしまうようなリアル小学生、6年生の最後の公式戦が始まりました。
1年を通して行われる会長杯では、中野区ランキング7位(11チーム中)という何ともコメントしようのない結果をひっさげての挑戦となります。

結果は2-0で勝ち、なんとか19日の準決勝にコマを進めることが出来ました。
対戦相手のわかみやは2年生の時に0-7でボロ負けした相手で、6年生のこの時期に互角以上に戦えるようになったということは、それなりに成長したということだと思います。
とはいっても、まだまだ修正すべき点は沢山あります。
この日の試合でいえば、ディフェンスラインで相手選手を自由にさせすぎていて、なんでもないタテパスで決定的なチャンスを作られてしまった場面が何度かありました。
そして、これはずっと言い続けていることなのですが、強引な勝負を仕掛けてボールを失う場面が目立ちました。
勝負を仕掛けてはいけないとはいいません。
ただ、状況を考えなければいけないのです。
相手ゴール前であれば、多少強引でも「勝負」すべきです。
しかし、自陣内や中盤付近で不用意にボールを失うというシーンが目立ちました。
もちろん、完璧にボールをキープしてつなぐということは難しいと思います。
ただ、ボールを失う原因が単純なトラップミスやパスミスではなく、判断ミスであることが問題です。
強引に仕掛けることでボールを失う…
それが、どの様な結果になるのかはもう分かっているはずです。
そう、子ども達は分かっていると思います。
でも、理解しているだけでは「選手」ではないのです。
口で言うだけなら誰でも出来ます。
「神様」ジーコを自信満々に批判するオッサン達は、そこら辺の居酒屋にたくさんいます。
子ども達には、なんとしても「選手」となってつばさを巣立ってもらいたいと思います。
他にも修正点は沢山ありますが、最重要課題は「勝負」を仕掛けるかどうかの判断です。
今の6年生には十分出来ると思っています。
ここまでの6年生の練習や試合を見てきて、自信を持ってそう言えます。
後は、子ども達が自信を持って最後の公式戦に臨めるようにしたいと思います。
そう、19日は最後の公式戦です。
その後も、練習試合や招待試合などがあると思いますが、ひとつの区切りとしてつばさでの7年間の集大成を出し切って欲しいと思います。
みんなはできる!
自信を持て!