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2009年4月20日月曜日

新シリーズ(コラム?)

ひとりゴトログのポジションを模索している、今日この頃。
これまでは試合観戦記の色が強かった(というかそれ『のみ』)のですが…
毎年、試合で感じる事はそれほど大きな差はなく、同じような事を書いているなぁ…というマンネリ感をヒシヒシと感じていました。
その結果、更新をサボりがちとなってしまいました。(言い訳ですが…)
という事で、今後は特にしばりをつけずに、試合の感想も書くし、その時に考えている事、自分の体重の変化(特に減少)などを、まさにブログ風に書いていこうかと思います。
ということで、まずは某テレビ局で深夜にやっているスポーツ番組(うるぐ●)で観たオシムのインタビューについて感じた事を。

まず、オシムという監督が非常に優秀な指導者である事は、自分も認めています。
しかし、オシムがまるで日本サッカーの救世主であるかのような扱い、もっと言ってしまうと神格化されてしまうような状況はどうかと思います。
オシムは言います…
「運動量が足りない、そのせいで負けた」
「もっと動かなければ…」
誰もがこの言葉に大きく頷きます。
しかし、驚異的な運動量で高校サッカー界で旋風を巻き起こしたものの、日本を背負って立つような選手を排出できないでいる某指導者がこの言葉を言ったらどうなるでしょうか?
技術不足をフィジカルで圧倒しようという方向性は、以前から批判の的になっていたはずです。
ところが、オシムが「運動量」と言うと…
どうもオシム批判はタブーになっているような気がします。
自分にとって、そんなオシムの言動には納得の出来るものと、「そうかぁ?」と感じるものがあります。
それは翻訳に問題があって、オシムの本当に言いたい事が伝わっておらず、マスコミの都合の良い部分だけが公になっているのかもしれません。
しかし、この日「うる●す」で聞いたオシムの言葉には納得できるものがありました。
日本代表の決定力不足について聞かれたオシム
「日本の選手達はゴール前で何をしたら良いか分かっていない」
「パスをするか、シュートをするか分からないんですよ」
「その答えを監督に求める…自分で決めなければいけない事なのにね」
海外のサッカー環境を実際に観てきた訳ではありませんが、日本の指導者や保護者は何でもかんでも教えたがる(教えてほしがる)というか、教えなければ(教えて貰わなければ)いけないと思っているような気がします。
イヤ、教えなければ選手達は出来るようにならない、と思っているのかもしれません。
サッカーに限らず、スポーツは遊びであるはずです。
子ども達はもちろん、プロの選手達もプレーする事を楽しんでいるはず…というよりも、楽しんでプレーすべきだと思います。
そして、楽しいもの、好きなものだからこそもっと上手くなりたいと工夫をしていくものだと思います。
テレビゲームにのめり込む子ども達は、人から情報を引き出したり、攻略本を読んだりしながら、ゲームを繰り返しプレーしていく事で上達していきます。
ゲームのスクールやゲーム塾に入ったり、専門のコーチにゲームを教えて貰おうとは考えないと思います。
南米やヨーロッパの子ども達は、サッカーをこのテレビゲームの様にとらえていると思います。
テレビやスタジアムで、自分にとってのアイドル選手のプレーを観て、それを遊びの中でマネをしてみる。
そして、よりアイドルの選手に近づくため、サッカー仲間の間でヒーローになるために、一生懸命にボールを蹴るのです。
決して「教えて下さい!」というような「受け身」の姿勢は取らないはずです。
時にはコーチの指示に「自分はこう思うんだけど?何でそのようなプレーをしなければいけないの?」とコーチと議論を交わす子ども達もいると聞きます。
しかし、日本でいうスポーツはどうでしょう?
日本ではスポーツというよりも「体育」という考え方が、(意識をしていなくても)我々の身体に染みついているのではないでしょうか?
日本のスポーツ界が部活動を中心に発展した背景もあり、楽しむというよりも教科教育の一環としての「運動」という印象が強い気がします。
もっと遡っていえば、戦時下の「教練」にルーツがあるのかもしれません。
つまりは、軍隊の「訓練」のようなシステムに近い気がします。
コーチ(上官)の指示(命令)に従い、その指示を遂行するのです。
軍隊においては、兵隊は自分の判断で勝手に動く事は出来ません。
上からの指示に従って動かなければいけません。
これは、そうしなければ自分の、または自分の属する隊全体の生死に関わるのですから絶対に守らなければいけません。
コーチのいう事に対しては大声で「ハイッ!!!」と返事をしなければ、コーチに怒られてしまうチームもあります。
コーチの指示を受けている間は、気をつけの姿勢で直立不動でなければ、グランドを走らせられてしまう事もあります。
このような環境で、スポーツを本当に楽しめるでしょうか?
スポーツは生死をかけた戦争ではありません。
むしろ自分の判断で動く事、その判断をする事がスポーツの醍醐味であり、楽しさであるはずです。
では、われわれコーチは何をする事が「仕事」になるのでしょうか?
最も大切なのはサッカーの楽しさ、素晴らしさを感じさせる事です。
それは、「場所」「時間」「環境」の提供。
サッカーを楽しむ事の出来る場所や環境、つまり練習や試合に参加する機会を与える事。
子ども達が能動的に取り組むような、または工夫をすれば上手くプレーできるようになる状況を設定する事。(練習メニュー)
そして、より良いと思われるサッカーを(言葉やデモンストレーションで)示す事…等々。
手をさしのべる事も必要ではありますが、子ども達が「教えて貰う」というような姿勢を作ってしまうと、それは子ども達の可能性を潰してしまう事と等しいと思います。
サッカーは決して教え込むものではないし、教えきれるものでもないと思います。
サッカーに夢中になれば、子ども達は自ら工夫をしてサッカーに向き合うようになるはずです。
国の代表選手が大事な場面で、監督からの指示がなければ上手くプレーできない、というようなスポーツ環境は正しいのでしょうか?
サッカーを「遊び」と捉えて、子ども達が目の色を変えてサッカーと向き合う。
コーチ、保護者はサッカーに夢中になる子ども達のサポートを目一杯する…そんなクラブに「つばさ」はなりたい。
と、宮沢賢治風なシメで、コラム風ひとりゴトログを終了します。(長くなってしまった…)

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